ピクシブにあげたもの
出会いから10年。
矢澤にこにー(27)と西木野女史(25)のお話。
恋人や夫婦の間で○○記念日――なんてイベントはあるだろうか。
○○に入る言葉に決まりごとはないらしいが、夫婦なら結婚記念日は外せないだろうし、恋人同士なら“付き合って一ヶ月記念”なんてのもよく聞く話だ。
結婚記念日はともかくとしても、付き合って一ヶ月そこらで記念とかイミワカンナイ――と真姫ちゃんなら言いそうよね。かくいう私もその一人で、昔の私だったら「そういうことやってる奴に限って長続きしないのよねー」なんて、鼻で笑っていたに違いない。自分のことだけに容易に想像できる。
だから、たとえ自分に恋人ができたとしても、そんな世俗に塗れた痛いカップルの悪しき風習になんて手はださない――と、軽く考えていた昔の私。
そして今現在、私こと矢澤にこ(27)は、謝罪と共にこの言葉を贈らなければならない。
――そう思っていた時期が私にもありました…と。
人の心――価値観なんて時と共に移ろうもの。ヒトが感情の生き物である以上、そこに例外はないし、そう感じた人間も少なからずいるはず。私がまさにそうだった。
無論、変わらないものがあるのも事実だが、今こうしてその事を実感すると、時の流れの残酷さを嫌でも思い知る。
いざ自分が同じ立場に立った時、そこにいたのは嬉々として記念日とやらに臨む私の姿だった。
胸の奥から溢れ出して止まらない気分の高揚は、私を一匹の悲しきモンスター(愛)へと変貌させた。
「ふふっ♪ 真姫ちゃん喜ぶかなー? 喜んでくれるよねーきっと! だってこのにこにー様との記念日だも~ん、喜ばないわけないにこー☆ あはは♪」
思わずスキップらんらんフォーエバー。だれかこの色ボケ魔人を止めてほしい、と心の中の天使と悪魔が涙を流して叫んでいる。
ていうか、いい年こいて語尾を「にこ」とかやめてホント…。
すれ違う人々が私の顔を若干引いた目で見ていた。中でも「ママ―、あのお姉ちゃんニヤニヤしてるー! きもーい☆」「しっ! 見ちゃいけません! 目が潰れちゃうわよ!」なんていう子供連れの親子の会話にはさすがの私も胸が抉れる思いだった。まぁ、抉れるだけの胸なんてなかったけどね――ってうるさいわ!
(くっ…何よみんなして、にこみたいな汚物は消毒だーとでも言いたいわけ? べーっだ! いいじゃん別に浮かれたって。せっかくの記念日なんだし!)
今日という日、それは『私と真姫ちゃんが同棲を始めてちょうど一ヶ月』の記念日だった。
ここまで引っ張っておいてその程度で記念日(笑)とか言うなかれ。記念日の価値観なんて人それぞれ。その人が記念日だと思えば毎日だって記念日なのだ。むしろ毎日記念日にしたっていい。
そう――真姫ちゃんとちゅーした記念とか、真姫ちゃんと一緒のお布団で寝た記念とか、真姫ちゃんと一緒にお風呂に入った記念とか、真姫ちゃんとセッ(ry
おまけに今日は日曜日で仕事はお休み。しかも真姫ちゃんも今日は早く帰って来れる――となれば、これはもう記念日パーティーをせよっていう神様からのありがたいお達しに違いない。
「さーて、じゃんじゃん買うわよー!」
そんな神託に身を任せ、やってきたのは地元の商店街――の中で普段からご贔屓にさせてもらっているスーパーだった。
何の変哲もないただのスーパーだが、半額セールやらタイムセールやら投げ売りやらの多いこの店は、ご近所ということもあってか1人暮らし時代からずっと利用している。地元ということもあって、もはや第二の故郷と言っても過言ではない。
「うんうん、あいかわらずお手ごろ価格でありがたいわねー。いっそ真姫ちゃん家の隣に引っ越してこないかしら?」
まぁ、そうじゃくても近所だから別に構わないけどね。目と鼻の先だし。
なにはともあれ、新鮮かつどこよりも安いものを近場で入手できるというのは正直ありがたいし、仕事と主婦業を両立している身としては、安い商品は見てるだけでもテンションがあがってしまう。
真姫ちゃんのような生まれた時からセレブなお嬢様にはわからないだろうが、貧乏根性の染みついた私からすれば、まさに神の救いとも言えるような桃源郷。
食材も日用品も毎日使うものだから、買い続けるとなればそれなりに出費はかさむ。塵も積もれば山となるという言葉そのままに。
だからこそ、今朝見たスーパーの特売チラシで大量の安売り品を目にした時は思わず主婦モードに火がついてしまった。
記念すべき日にこう立て続けにうまい話が転がってくるなんて、日頃の行いがいい証拠だよね。世界は私のためにある! なんていうのはさすがに大袈裟かな。
「おっ、まだまだいっぱいあるわねー。やっぱり早めに来て正解だったわ。――よっし!卵ゲット!」
まず手始めに貴重なタンパク源片手にガッツポーズを決める。天高く掲げた『おひとり様一パック99円』の肩書を持つそれは、1人暮らしはもちろん主婦達の間でも力強い味方となってくれる、まさに太陽のような存在だった。
一瞬、レジで精算してからもう一周しようかとも考えたが、にこのアイドル女子道――もとい主婦道は秩序を守ってこその道なので、さすがにやめておく。
パック卵をいそいそと買い物かごに入れ、続いて野菜コーナーへ移動した。
最初に目に飛び込んだそれは、自己主張の強い真姫ちゃんの髪のような真紅の野菜――トマトちゃん。
「やっぱりこれは外せないわよねー」
目を引いたそれが私の目的の野菜なのは言うまでもなく、トマトが真姫ちゃんの大好物だから。
やはり記念日なので真姫ちゃんの好きな料理をご馳走したいと考えたしだいである。
はいそこ、安直な発想だと笑うなかれ。
目を閉じればほら、私の料理を美味しそうに食べる真姫ちゃんの幸せそうな顔が浮かんでくるでしょ。
そうしてお腹一杯になった真姫ちゃんは私を後ろから抱き締めてこう言うの。
『とっても美味しかったわよ、にこちゃん』
『ホント? おかわりならまだまだたくさんあるよ? 食べる?』
『ううん、もうおなか一杯で何も入らないわ。でも…』
『でも?』
『おなか一杯になったら、今度はデザートが食べたくなっちゃった』
『えっ、でも今おなかいっぱいって…』
『ふふ、デザートは別腹っていうでしょ? ねぇ――にこちゃん?』
そう言って真姫ちゃんは私をベッドに優しく押し倒して、デザートの包装紙を剥ぎ取っていくの。優しく、じっくり、ねっとりと。矢澤にこと言う名のデザートを全身隅々まで食べ尽くすために――。
「な~んちゃってなんちゃって! キャー♪ だ、だめよ真姫ちゃん! そのいちごは食べられな――ああんっ♪」
スーパーのど真ん中で奇声を発する妙齢の女性はもちろん私である。
一歩間違えれば通報されかねない妄想変態女がくねくねと妖しげなダンスを踊っている様を買い物客はドン引きしつつ見守っていた。
まったく世知辛い世の中になったものよね。下手に妄想もできないんだから。 え? 妄想なら家でやれって? まぁ正論よね。今更だけど。
とにもかくにも、私は自分が持てる技術のすべてを使って真姫ちゃんの舌を唸らせるトマト料理フルコースを振る舞うつもりだ。フランス料理でもイタリア料理でも中華料理でもどんとこいよ。まぁ、前提条件としてレシピと食材を必要とするのは言うまでもないけど、私ならなんとかなるはずよね。なんたって真姫ちゃんのためだもん。
「えーと…あと買うものは…」
その後、必要な食材を買い足し、瞬く間に買い物かごは一杯になってしまった。さすがに重かったのでカートに乗せて移動する。
こういう何気ない文明の利器も、普段から当たり前のように使っているから、あまりありがたみを感じないけど。ただ、やはりあるのとないのとでは全然違うので、あった方が断然楽だった。
「トイレットペーパーも買っておかないと…あっ、確か歯磨き粉も切れかかってたっけ? 買い置きしておかないとね。あとは――」
食材はともかくとしても、なんだかんだと買う物は多い。必要なものはその都度買い足すとしても、平日は仕事でなかなか買い物をする時間が取れないので、こうして休みの日に日用品をまとめ買いするのは基本だった。
日々の仕事をこなしながらの主婦業は、これはこれでなかなか大変。なので、それなりに慣れは必要だったが、5年以上も1人暮らしを続けてきた私からすれば、すでに慣れを通り越して日常の一部と化しているので、特に面倒だと思ったことはない。
経験は人を強くする――まさに読んで字の如く。私もそれなりに社会経験を積んで大人になっているのかもしれない。一人前かどうかは別として――。
※
あらかた必要な物をかごに放り込み、レジで精算する頃には結構な荷物になっていた。
一個だったかごも二個に増え、食材と日用品は溢れそうなほど山盛りとなっていた。特売ということもあって調子に乗った結果だが、この後のことを考えるとあまり得策とは言えなかった。
悪いのは特売という名の悪魔の罠。それに踊らされる善良な市民の両腕には圧倒的物量。ずっしりと重く圧しかかる重量感に思わず溜息をついた。
「…重いわね…ちょっと欲張り過ぎたかしら…」
両手にかかえたエコバックを持つ手に力を籠めて、よいしょと踏ん張る。
さすがに、かよわい乙女には尋常じゃない重さだったけど、こういった経験自体は初めてではないので、なんてことはない。っていうか、特売の度に両手いっぱい荷物を抱えている私からすれば、この程度の重さはまだ序の口だった。
過去に「箸なんて重くて持てなーい☆」なんてほざいていた私が、ずいぶんと逞しく成長したものだとしみじみ。
「さーてと、それじゃあ――」
そろそろ帰ろうかしら――とはもちろんいかない。
「もう少し頑張ってね、私の両腕ちゃん。腕が千切れる前には済ませるから」
というのも、今日の私の目的は買い物だけではないのだ。むしろここからが本番。一つは確かに買い物で間違いないが、本来の目的は別のところにある。もう一つの目的の方が実は一番重要で、かつメインの目的なのだ。
その目的とは――真姫ちゃんへのプレゼント選び。
せっかくの記念日ということもあるけど、プレゼント自体は前々から渡そうと思っていたのはここだけの話。
ほら、真姫ちゃんには何かとお世話になってるしね。お家にも住まわせてもらってるのに、ちゃんとしたお礼もできてなかったから――。
それに――5年も真姫ちゃんのこと待たせたんだもの。そろそろけじめをつけなきゃいけない時期じゃない? って思うわけ。
ごめんなさいと、ありがとうと、それから今の自分の気持ちを――「好き」って気持ちをちゃんと言葉にして伝えたい。
そう思ったからこその――プレゼント。
「さーて…何にしようかしら…はぁ」
残念なことに、いまだにそのプレゼントを決め兼ねているわけだ。
無論、今までただ手をこまねいていたわけではなく、足りない脳みそをフルに使って考え抜いた末に決まらなかったと言い訳してみる。
というか考えれば考えるほど泥沼にはまっていって決まるものも決まらなくなっていた。
つまり今の私は、目的と手段のうち目的ははっきりしているが、そうするための手段がまだない状況だ。
いっそプレゼントなしで――とも考えたけど、私の性格からしてそれは無理難題。認めたくはないが、私のヘタレ気質は筋金入りってことらしい。……今、誰か私を笑ったわね?
「あー…どうしよ…ぜんぜん決まらないわ…冗談抜きで…」
スーパーの目の前であーでもないこーでもないと行ったり来たりを繰り返す。
どうやら、ふとした瞬間ひらめくような都合のいい展開にはどうやらならないらしい。
天を仰げば吸い込まれそうな青い空にふわふわと気持ちよさそうに泳ぐ白い雲。雲の隙間から眩しい日差しがこぼれ、思わず目を細める。いいわね雲は。何も考えずに大空を泳いでいられるんだから。
「………もうお昼か」
放心したようにぼそりと呟く。時計は見てないけど、そろそろお昼時なのは間違いない――と、私の腹時計がそう告げている。ていうかいい加減、両腕の体力が限界に近付いていた。疲れと空腹がコンボでどっと押し寄せてきている。
「ま、こんな重い荷物かかえていい案なんて浮かぶわけないわよね。とりあえず、どっかで休もうかしら。お腹も空いたしね…」
その瞬間、私のおなかが待ってましたとばかりに、ぐぅ~っと返事を返した。現金なものだ。
「ふふ、体は正直よねー」
どうやら私の体はプレゼント選びよりもお昼ごはんを求めているらしい。腹が減っては戦は出来ぬというし、プレゼント選びはお昼を食べてからでも遅くないわよね。時間ならまだたっぷりあるわけだし。
「さーて、どこで食べようかしらね」
――なんて言いながらも、自然と足はとある方角に向かって歩き出していた。
ここからだと徒歩10分もかからない。目的地は最初から決まっていた。
※
この時間帯、そこに行けばごはんにありつけそうな気がしたからかもしれない。
無事に目的地に到着した私は、両手の荷物をいったん地面に置いて額の汗を拭った。
「ふぃー、さすがに疲れたわ…」
東京都千代田区。秋葉原や神田など。人が多く集まるこの街の中で、巨大なビル群に囲まれながらも、ひっそりと、かくれんぼするかのように昔ながらの町並みを残すその場所にそのお店はあった。
老舗和菓子屋「穂むら」――。
ここが私の目的地。なぜお昼に和菓子? と思うかもしれない。お蕎麦屋さんなど数多くの老舗が立ち並ぶこの商店街で、ここを選んだのにはもちろんわけがある。
それは言わずもがな、私個人にとってこの場所は――高坂穂乃果の実家だということが大きな意味を持つ。実はもう一つ大きな理由はあるのだが、それはすぐにわかることなので割愛しておく。
とにかく、私はここにお昼ご飯をたかりにきたわけだ。図々しいにもほどがあるって? 大丈夫、私もそう思う。
「あの子達いるかしら? ――っていないわけないわよね」
勝手知ったる他人の家、とはよく言ったもの。もはや見慣れつつある「穂むら」の看板とのれんを前に肩をすくめる。
のれんは掛ってるし、営業中の札もちゃんと出ている。これでやってなければ営業放棄で文句の一つも言ってるとこだわね。
ちなみに、ここ和菓子屋「穂むら」を、私は普段から利用させてもらっている。頻度は週に2、3回とかなり多めだが、家からも職場からも近く、足を運びやすいという利点に加え、なにより昔馴染みに会えるというのが大きい。
仕事帰りや休みの日を利用してちょくちょくお土産を買いに訪れて――というのはもちろん建前で、本音は単純にあの子達の生存確認兼冷やかしにきているだけだった。
両手のエコバックをよいせと持ち直し、引き戸に手をかける――と、そこで扉の中央ど真ん中の張り紙書かれた「新発売! はらしょぉ穂まんじゅう」とやらが目に飛び込んだが、とりあえず見なかったことにした。
(あの子…また変なモノ作ってるんじゃないでしょうね…)
ガラガラと音を立てる引き扉の向こう側――カウンター越しに一人の女性が佇んでいた。
明るい橙色の髪を白い三角巾でまとめた割烹着姿の女性は、年相応に大人びた顔立ちに似合わない大口を開けながら、三色団子をむぐむぐと頬張っていた。
もちろん、それを見逃す私じゃない。繰り返し言うが、今は営業中だ。
その女性は私が入店するや否や、ビクリと反応すると、三色団子を台の下に隠して慌てて取り繕い始める。
いや、もう遅いから。何やってんのよこの子は…なんて考えつつ、とりあえず私はジト目で彼女を見やる。
「むぐっ…けほ…い、いらっしゃいませー!」
「穂乃果…あんたねぇ…」
「あ、あれ? に、にこちゃん?」
開口一番にげほげほとむせながらお客様に挨拶とは礼儀知らずにもほどがある。正直、接客業としてどうなの?って感じだけど、それがこの子相手だと何故か憎めないのはなんでかしらね。
まぁ、昔からこの子のやることなすことは常軌を逸しているから、この程度で驚いていたら友人として付き合っていくことはおそらくできないだろう、なんて。元μ’sのリーダー様は色んな意味で伊達ではないのだ。
「ったく…入ってきたのが私だったからいいけど、他のお客さんだったらどうするつもりだったのよ?」
「い、いやー…この時間帯って結構暇だからねー。そ、それにそろそろお昼にしようと思ってたから問題無だよ!」
「はぁ…、まぁいいわ、そういうことにしといてあげるわよ」
今更紹介の必要なんてないと思うけど、カウンターで店番しながら三色団子を頬張っていたのは言うまでもなく高坂穂乃果その人である。今年26歳になる私の一個下の後輩で、ここ「穂むら」の看板娘でもある。
無論、この子もμ’sの一員なだけあって他にも逸話はある。
10年前――音ノ木坂学院をスクールアイドルグループ「μ‘s」として廃校の危機から救い、数々の伝説を残してきた9人のうちの1人にしてリーダー様――それが穂乃果だった。
この子に思うところがあるとすれば、それは――すべての始まりはこの子から――ということだろうか。
私が真姫ちゃんと出会うきっかけも、結局は穂乃果が「μ’s」を作ったことに起因する。正直、μ’sのことも、真姫ちゃんとのことも、感謝してもしたりない恩人と言ってもいい。けど、それを正面切って言えるだけの素直さはもちろん持ち合せていない。
ちなみに、現在音ノ木坂学院で活動しているアイドル研究部(今もばりばり健在よ)の部員達の間では伝説の英雄として語り継がれており、もはや知らぬものはいないほどの有名人とのことらしい。
伝説の英雄とか、あんたはどこぞの勇者様かと言いたいが、音ノ木坂を救ったのがその勇者様と愉快な仲間達であるのは紛れもない事実なので、あながち間違いではなかった。私もその一人なのだからおかしな話だ。
「ところでにこちゃん」
ふと、穂乃果が首をかしげながらあの頃と変わらない純粋な瞳を向けてくる。
「なによ?」
「よく家に来るけど、他にすることないの? もしかして暇なの?」
その一言がグサリと胸に突き刺さる。
「ぐ…また痛いとこ突きやがるわね…一応お客様なのよ私?」
「まぁ、そうなんだけどね」
さも当前のような顔して平然と友情ブレイカ―的な発言をしてくれるこの子の顔には微塵も悪気なんて感じられない。
これだから天然タイプは始末に負えない。ことりちゃんといい勝負してるわよホント。この子達の相方は毎日が苦労の連続でしょうね。
「ふんだ、たまの休日になにしようが私の勝手でしょ」
「えー、休みの日ならなおさらお出掛けとかしたらいいのに…」
「してるじゃない今まさに」
「いやぁ、そういう意味じゃなくってさぁ」
によによと、なぜか含みのある笑みを浮かべる穂乃果に居た堪れなくなって、ふいっとそっぽを向いた。
どうせ色恋沙汰なアレコレを想像してるんだろうけど、ある意味今日のお出掛けだってその下準備なんだから、大きなお世話だってのよ、まったく。
「ふん、そういう穂乃果はどうなのよ? うまくやってるわけ?」
「えー、そこで私に振っちゃう? 聞きたいなら教えてあげなくもないけどぉ、エヘヘ♪」
無邪気に照れながらいやんいやんと首を振る穂乃果はどの角度から見ても年相応には見えなかった。たぶん穂乃果を知らない人は、見た目と中身のギャップに戸惑うことは想像に難しくない。
年を追うごとに可愛いさよりも美人さに磨きがかかってきている穂乃果だが、まだまだ年相応の落ち着きは身についていないらしい。いい加減いい歳なんだから中身も少しは成長しなさいってのよ。
とりあえず、今にも奴とのアレコレを語り出しそうな目の前の色ボケに間髪入れず首を振った。
「やっぱいいわ。歯の浮くような惚気話聞かされるなんてまっぴらだし」
「ひ、ひどいよにこちゃん! そこまで引っ張っておいてスルーとか悪魔だよ!」
「あーはいはい、それよりちょっと荷物置かせてもらってもいいかしら。いい加減重くて仕方ないのよね」
そう言って、両手に抱えたエコバックを見せつけると、穂乃果はギョッとしたような顔をして慌てて私に駆け寄った。片方の荷物を半ば奪い取るようにして持つと、そのまま穂むらの居住スペースへと案内された。
文字通りこれでようやく肩の荷が下りた気分。茶の間に通され、部屋の隅に荷物を置いて一息ついていると、穂乃果がお茶を淹れてくれる。
「さんきゅ、いや~喉乾いてたのよねー。んっ…んっ…くぅ~染みわたるぅ~!」
ぬるめのお茶を一気飲みして喉を潤すと、気持ちいいくらいの爽快感が体の疲れを癒していく。
「ねーねーにこちゃん、どうしたのあの大荷物? 衝動買いでもしたの?」
「んー、近くのスーパーで特売あったのよ。まぁ、理由はそれだけじゃないけど――」
「ふーん…よくわかんないけど、まぁいいや。そろそろお昼だし、にこちゃんも食べてくでしょ?」
「いいの? なんか悪いわねー」
なんて、さすがに最初からお昼ご飯をたかりにやってきたとは言えない。
「いいよー別に。その代わり穂むらの売り上げに貢献してってね」
「はいはいわかってるわよ。ったく、あんたもちゃっかりしてるわねー」
「まぁね、これでも和菓子屋穂むらの看板娘ですから!」
私にはない豊満なふくらみを全面に押し出しつつ胸を張る穂乃果。ったく、胸にまんじゅうでも詰め込んでんじゃないでしょうね。どいつもこいつも胸ばっかり成長しすぎなのよ。ちょっとはわけなさいよね。
「そういえば――アイツはいないの?」
何気なく口に出してしまったが、アイツ――と言えばアイツしかいない。
穂乃果の相方は昔も今も変わっていないのだから、出てくる名前は当然――、
「あいつ? ああ、絵里ちゃん? 絵里ちゃんなら作業場にいるはずだよ。もうお昼だし今呼んでくるね」
――絵里。
その名を聞いて思い浮かべる人物は一人しかいない。
絵里は絵里――あの絢瀬絵里で間違いない。
パタパタとスリッパを鳴らして茶の間から飛び出していく穂乃果だったが、ふと足音がピタリと止んだ。
「あっ、絵里ちゃん! お疲れさま~。今呼びに行こうと思ってたんだよ」
「そう、ありがとう穂乃果。ところで誰か来てるの? なんだか騒がしかったけど――って」
どうやら呼びにいかずとも自分からやってきたようだが、茶の間にひょっこりと顔だけ覗かせた絵里は、私の存在を視界に捉えるなり軽い溜息をついた。人の顔見るなり溜息とか失礼しちゃうわね。
「やっほー絵里、お邪魔してるわよ」
「はらしょー…誰かと思えばまたにこなの? やれやれ、毎度毎度ご苦労さまね。ねぇ、もしかして他にやることないの? 暇なの?」
「ぐっ…この夫婦は揃いも揃って人の胸を抉るようなことばっか言いやがるわね! あのねぇ、これでも私、一応お客様なのよ? お客様に対してその態度ってどうなのよ?」
夫婦――という単語に逸早く反応を示したのは穂乃果だった。「夫婦だなんて照れるよ~♪」なんてほざきながら火照った顔に両手をあてていやんいやんと首を振っていた。とりあえずツッコミはなしの方向で。
「ふーん? お客様は茶の間にまで入ってこないと思うけど?」
「くっ」
まったくもって正論なので言い返すこともできない。
たしかに頻繁に出入りしてはいるけど、いいじゃないのよ別に。仕事の邪魔してるわけじゃないんだし。せっかく数少ない友人に会いに来てるんだから察しなさいよね、まったく。それとも何? 有難迷惑って言いたいわけ? 仕舞にゃ泣くわよ私も。
さて、一応ちゃんとした紹介をしておくとだ、茶の間の前で呆れた顔した白い職人服姿の美女は絢瀬絵里その人で間違いない。歳は私と同級なので今年27歳。そして言わずもがな元「μ’s」の一員である。
そのロシア系クォーターの証である身目麗しい金髪碧眼は、一見するとハリウッド映画か何かに登場する女優かと錯覚するほど。
誰もが羨む美貌を兼ね備えた――まさに絶世の美女と言っても疑わない彼女が、まさか老舗の和菓子屋さんで和菓子職人として働いているというのだから人生何が起こるかわからない。
あの絵里が和菓子職人なんて何かの間違いかと思うだろう。しかしこれが現実。変えようのない未来の一つの形なのである。
(懐かしいわね…突然製菓学校に行くとか言い出した時はどうなるものかと思ったけど――)
ああ…目を閉じれば思い出す、大学受験を控えた受験生だった頃の私達の姿――。
進路表の第一志望から第三志望まで全部製菓学校で埋め尽くされていたのを見た時はさすがの私も目が点になった。
極めつけは絵里のあの言葉――。
『ちょっと思うところがあってね。私、菓子職人になることに決めたわ! 製菓学校に行って一から菓子作りを学んで、ゆくゆくは職人さんに弟子入りしようと思ってるの!」
とりあえずこの子頭大丈夫かしら? と、最初に思ったのはもちろん本人には内緒。
ただ、まさか本当に製菓学校を出て、卒業と同時に弟子入りを果たすとは思わなかった。有言実行を成した絵里の執念に畏怖の念すら感じる。
しかも、弟子入り先が穂乃果の親父さんだったなんてね。思うところがあったってことは、最初から「穂むら」の和菓子職人になるつもりだったんでしょうけど、その猪突猛進極まりない行動力にはさすがに感服するわ。
突拍子のないことを言い出すのは決まって穂乃果だったけど、この子も穂乃果と同類よね。穂乃果と付き合うようになって影響されたのかもしれないわ。
ちなみに穂乃果の親父さんは、最初こそ弟子を取るつもりはなかったようだが、絵里の熱意に根負けしてしぶしぶ弟子にしてしまったらしいというのは後から聞いた話。
あのおじさん…型物そうに見えて案外押しに弱いのかもしれないわね。おまけに涙もろいしね。
そういえば先ほどから穂乃果と絵里しか見ていないが、今日はおじさんもおばさんもいないのだろうか。いや、さすがにお店を放り出していなくなったりはしないだろうけど――。
「ねぇ穂乃果、おじさんとおばさんは? さっきから姿が見えないけど…どっかお出掛け? 雪穂ちゃんもいないようだけど…」
穂乃果の妹――雪穂ちゃんはもちろん、日中ならばおじさんとおばさんはいるはずなのに。私もちょくちょくお邪魔しているからその辺の事情は知っていた。
「ああ――お義父様とお義母様なら今旅行中よ。今頃熱海あたりでゆっくりしてるんじゃないかしら? 雪穂ちゃんなら休日だからって、朝から亜里沙と遊びに行ってるわ。今日はお泊りみたいだけど……たぶん朝帰りでしょうね」
ふとした疑問に答えたのは絵里だったが、それよりも、
「ちょ、旅行って――」
雪穂ちゃんと亜里沙ちゃんがリア充してるのはとりあえず置いといて、この店の権力者が2人とも旅行ってありえなくない?
ていうか今、絵里の「お父様」と「お母様」の部分に微妙なニュアンスの違いを感じたのは気のせいだろうか? 気のせいよね、うん。気のせいだと思わせてお願いだから。
「穂むらの方はどうすんのよ? しばらく休業にするの?」
「あなたね…営業中の札見たから入ってきたんでしょう?」
「あ、そういえば…」
「ちゃんと休まずやってるわよ」
じゃあ2人とも穂乃果と絵里にお店を任せて旅行に行ったということだろうか。穂乃果似の愉快なおばさんはともかくとしても、あの厳格なおじさんが己の仕事を他人に押し付けて呑気に旅行に行ったりするだろうか――と、その当然の疑問に答えたのは娘の穂乃果だった。
「それがねー、お父さんったら、『絵里くんに教えることはもう何もない』って言って隠居宣言しちゃったんだ」
「はぁ? 隠居って…まだ隠居するには早いでしょーに」
「まぁね、隠居って言うのはさすがに大袈裟だけど、もう絵里ちゃん1人に穂むらの和菓子作りを任せても大丈夫だって、太鼓判押してくれたんだよ。あのお父さんに認められるなんてすごいよね。私感動しちゃった!」
「お義父様に弟子入りして早5年…来る日も来る日も修行に明け暮れる毎日だったけど、こうして努力が認められるのは素直に嬉しいわね。穂むらの看板を任された以上、今後も慢心しないで精進していかないといけないわ。――それと穂乃果? 1人じゃなくて2人でしょう? 穂乃果がいるから私は頑張れるの、そのことを忘れないで頂戴」
「絵里ちゃん…」
「穂乃果…」
熱っぽい瞳で見つめ合う2人は、どちらからともなく目を閉じると、そのまま唇を寄せて――ってさせるか!
「あーはいはい! わかったから私を無視していちゃつくんじゃないわよ!」
間髪入れずに止めに入ると、絵里はハッとして穂乃果から顔を離した。
「…あらにこ、いたのね」
「ええ、いたわよ最初から」
ちなみにおあずけを食らった穂乃果はどこか不満そうに唇を尖らせている。
「ぶぅ…にこちゃんそこは空気読もうよぉ」
「空気読んだらイクとこまでイッちゃうでしょうがアンタ達は! 何が悲しくてアンタ達が乳繰り合う様をじっくり観賞しなくちゃいけないのよ!」
「エヘヘ♪」
「笑ってごまかすな!」
沸騰しかけた頭を冷やすため、湯呑みをむんずと掴んでお茶を飲み干した。すでに冷めてしまったお茶が丁度いい熱冷ましになってくれる。
湯呑みをちゃぶ台に置いて、それからふぅっと一息つくと、絵里が尋ねてくる。
「それはそうと、にこはここに何しに来たのかしら? そう言えば、まだ理由を聞いてなかったわね。まぁ、どうせお昼ご飯にありつけるとか、そんなどうしようもない理由でしょうけど」
言葉と共にジトっとした青い瞳を突き付けられ、ギクリと体が硬直する。100%言い訳のしようもなく言い当てられて反論のしようもない。が、ここで黙り込んでいては肯定したも同然なので、適当に話を作ってやり過ごすことに。
「ち、違うわよ! え、えーと…だから…そ、そう! ちょ、ちょっと相談したいことがあってさ、真姫ちゃんのことで――」
言った瞬間にしまったと思った。適当に話を作るつもりが何をバカ正直に自分の悩みを口にしているのかと。
だが今更失言に気付いてももう遅い。耳聡い二匹のハイエナは、獲物を見つけた狩人のようにキラリと目を光らせて笑みを浮かべた。嫌な予感は冷や汗となって頬を伝う。
「その話、詳しく聞かせてもらいましょうか」
絵里はちゃぶ台に両手をついて、ずずずいっと身を乗り出した。その目は新しいおもちゃを手にした子供のように無邪気な光を放っている。
「い、いやその…た、大した話じゃないし…ね?」
「ねぇ穂乃果? 穂乃果も気になるわよね? にこと真姫の馴れ初め」
「うん! 真姫ちゃんと同棲し始めたって聞いてたから、ちょっと気になってたんだぁ♪」
「いやちょっ、馴れ初めは関係ないでしょうが! 馴れ初めは! 相談したいことがあるってだけで――」
「にこちゃんってばそういうの全然教えてくれないしさー。真姫ちゃんに聞いても『べ、別に…普通よ普通』って照れてばっかりなんだもん」
「い、いやだって…同棲ったって普通に暮らしてるだけだし…別に報告するようなことなんて…」
「はいはいわかったから。相談込みであることないこと全部ゲロっちゃいなさい」
「ないことは話せないでしょーが…ったく」
結局、こうなることは目に見えていた。いつの時代も女性という生き物は下世話な話が大好きな生き物なのだ。それが近しい友人の恋愛事情ともなれば水を得た魚のように騒ぎ出すことは火を見るより明らかだ。
ここまできたら話さないという選択肢は選べなかった。第一見逃す気なんて毛頭ないと2人の目が語っている。もし逃げ出そうものなら両手両足を縛りつけてでも聞き出そうという迫力がひしひしと伝わってくる。
やれやれまったく…ついてないわね。いや…ある意味ついてるのかもしれないけど――。
「はぁ…まぁいいわ。悩んでるのは事実だし、せっかくだから相談に乗ってもらおうかしらね」
実際、このままだと真姫ちゃんへのプレゼントが決まらない恐れがあるのも事実だった。ここは話の流れに乗った方が得策かもしれない。足りない頭をいくら絞っても、音ノ木坂学院の元生徒会長様の頭脳には遠く及ばないのだから――。
*
さて――何から話そうかしら。
なんて思わせぶりな出だしから語り始めると、いきなり出鼻を挫かせるような甘い匂いが鼻腔を擽った。そのふんわりとしたいい匂いに堪らず私のおなかがキューっと鳴いた。
……そう言えばまだお昼食べてなかったわね。
「あ、これ今日のお昼ご飯ね。まだ試作段階だからお店には並んでないけど、味は保証するわよ」
「何よこれ? これも和菓子なの? 餃子じゃなくて?」
お皿の上には餃子みたいな羽のあるこんがりきつね色の食べ物。遠目には餃子にしか見えなかった。
「も~にこちゃん、餃子はお菓子じゃないよ?」
「わかってるわよそんなこと」
私と同じ赤点常習犯だった穂乃果に言われずともそんなことは百も承知だ。そもそもお店に並ぶと言っているのだから一応和菓子ってことで間違いないのだろう。
「見た目なんか餃子じゃないこれ」
「まぁ、見た目はまだ試作だから決めてないのよ。とりあえず今回は餃子っぽくしてみただけ。それより、ロシアの伝統料理にピロシキってあるの知ってる?」
「あー知ってる知ってる。え、なに、それじゃこれピロシキなの?」
「ちょっと違うわね。まだ試作品だから名前はないけど、仮に“穂むら印のピロシキ風あげまんじゅう”と言ったところかしら」
「いや…何が違うのかぜんぜんわかんないんだけど…ピロシキだってあげまんじゅうでしょ?」
「ふふ、そこは素人にはわからないでしょうね。私も職人の端くれとしてそこは譲るわけにはいかないの。これはあくまで穂むらのあげまんじゅうであってピロシキではないってことなのよ」
「ああ…だからピロシキ風なのね」
正直言うと全然違いがわからないけど、絵里が言うのだからそうなのだろう。見た目単なる金髪美女でも、あの穂乃果の親父さんに認められた一人前の職人なのだから、素人目にはわからない特別なこだわりがあるのだろう。
「――ってそんなのはいいから私の話を聞きなさいよ! せっかく話してあげようってのにいきなり出鼻をくじくな!」
「あら、ごめんなさい。――なによ、あれだけ渋ってたのに結局話す気満々なんじゃない」
「うっさい。いいから黙って聞きなさい」
「はいはい」
ふんっと鼻を鳴らしながら、お皿の上のあげまんじゅうを掴み取った。一口食べてみると、これがなかなか美味しい。口に広がるほんのりとした甘みが食欲を掻き立てる。
とは言え、そろそろ話し始めないとお昼が終わってしまいそうだったので、淹れ直したお茶で一息ついてから本題に入った。
「えーと…実は今日、記念日なのよ…真姫ちゃんとの」
「記念日?」
「なんの?」
きょとんとした様子で絵里と穂乃果は目を丸くしていた。バカ夫婦そろって同じ反応に少しおかしくなる。
「わ、笑うんじゃないわよ! ぜったいだからね! 笑ったら絶交よ!」
結果はなんとなく想像できてたけれど、念を押さずにはいられない。
だがしかし、この馬鹿夫婦の思考回路は私の想像の斜め上を飛んで行った。
「ええ、わかってるわ。つまり絶対笑えってことね?」
「まかせてにこちゃん!」
グッと親指をおっ立てた2人の大馬鹿はまるで見当違いのベクトルへと突き進んでいた。
「どうしてそうなんのよ! 笑うなっていってんでしょーが!」
「「え…だってそれ、あの有名なフリでしょ? 違うの?」」
さも当然のような顔で目をパチクリさせる絵里と穂乃果の言葉が絶妙なタイミングでシンクロした。おかげで私の頭の血管は弾け飛ぶ5秒前だ。
「このドバカ夫婦! 私はどこぞのお笑い芸人か!!」
ダメだこの馬鹿夫婦…早く何とかしないと…。下手したら宇宙の法則が乱れる…って、それはさすがに言いすぎか。
「…ったく…もういいわ…。今日は真姫ちゃんと同棲初めてちょうど一ヶ月なのよ。だからその…記念日なの」
「「……」」
言い終えると、沈黙という形で微妙に生温かい視線が飛んでくる。
「なによ…文句あるわけ?」
もういっそ笑いたきゃ笑えばいいじゃない。むしろその方が気が楽よ。
「いや…なんていうか…にこ、あなたって意外と乙女なのね。さすがのエリチカも度肝を抜かれたわ」
「意外って何よ! 一応これでもいっぱしの乙女のつもりよ! ってかそこまで驚くことか!」
「いやぁ~、にこちゃんも案外可愛いこと考えるんだねー。同棲一ヶ月で記念日とか…ぷぷぷ」
「ぎゃー笑うなぁ!」
「「…ぷっ」」
笑えばいいとは思ったけど、そんな本人前にしてあからさまに吹きださなくてもいいじゃない。いい加減泣いちゃうわよ私も。自慢じゃないけど豆腐メンタルなんだからね。…って、本当に自慢にならないわね…。
「くっ…そ、そういうアンタ達は記念日とかしないわけ?」
「そうねぇ、私達は特にそういうのはやったことないわね」
「だね。記念日っていうことなら、絵里ちゃんと一緒に過ごせる毎日がぜーんぶ記念日かな!」
穂乃果の心からの言葉に、絵里の頬が朱色に染まる。
「も、もう穂乃果ったら! そんな嬉しいことばかり言ってると、エリチカ特製おまんじゅうにして食べちゃうわよ?」
「絵里ちゃんになら食べられちゃってもいいかな♪ きゃっ」
「ふふ…じゃあお許しもでたことだし、頂いちゃおうかしら?」
穂乃果の冗談に付き合うように、絵里は穂乃果の腰に腕を回してグイッと抱き寄せる。驚き目を見開く穂乃果だったが、絵里の手が穂乃果の穂むまんを捏ね始めると、たちまち熱い吐息を漏らし始めた。
「んっ…やぁ…え、絵里ちゃん? だ、ダメだよぉ…こんな日の高いうちから…に、にこちゃんが見てるよ?」
「ふふ、そういうわりには抵抗がないわねぇ穂乃果? それとも見られて興奮しているのかしら?」
「ち、ちがうのぉ…」
「……ねぇ、お願いだから人を無視していいイチャイチャすんのやめてくれる?」
いい加減にしとかないと私も激にこぷんぷん丸よ。仏の顔も三度までっていうでしょ。そんな気持ちを込めてジト目で馬鹿共を睨みつけると2人ともやれやれと言った感じで肩をすくめた。そこに反省の色はもちろんない。
リア充の定義は多々あるけれど、この手のリア充は百害あって一利なしね。本当、早く爆発してくれないかしら。
「ったく、話を続けるわよ?」
「もう、せっかちねぇ。前々から思ってたけど、あなたはもう少し心にゆとりを持った方がいいわよ」
「だよね。にこちゃん、あんまり怒り過ぎるとしわが増えちゃうよ? その歳でよぼよぼのお婆ちゃんになっちゃうよ?」
「大きなお世話よ!――んで、せっかくの記念日だからパーティーでもしようかなって。今日は真姫ちゃんも早く帰ってこれるっていうし、私お手製のご馳走でお出迎えの予定なのよ」
「へぇ、いいじゃない。真姫もそのこと知ってるの?」
「……し、知らないわよ、たぶんだけど。真姫ちゃんてほら、記念日とかそういうの気にするような子じゃないし…私なりのサプライズよサプライズ」
ただでさえ仕事で忙しい子なのに、余計な気を回したくないっていうのが一番の理由だけど。
「一応、日頃の感謝の気持ちも入ってんのよ。真姫ちゃんには色々お世話になってるし、ここらで一発感謝の気持ちを形にしようかなって思ってね」
「ふぅん、でも真姫ちゃん喜ぶと思うよ。にこちゃんの料理って美味しいし――あっ、もしかしてあの大荷物ってそれ用の?」
「まーね。他にも色々買ったけど」
「なんにしても、こういうのは気持ちが一番大事ってことね。――で? その話を聞く限り、悩みになりそうな問題があるようには思えないけど?」
「あー…うん…えーと、その…」
絵里のもっともな質問に歯切れの悪い返事を返した。
確かに、ここまでは完璧なストーリーだと私でも思う。その後に待ちうけているプレゼントタイム(予定)が無ければの話だけど。
不思議そうに眉根を寄せる絵里と穂乃果の顔が揃って横に傾いた。本当に似た者夫婦だ。
「その…ご馳走はいいんだけど…他にもなにかプレゼント渡そうかなって」
「ああ…なるほど」
その一言ですべてを納得した絵里の顔が縦に揺れる。それに続き、絵里を代弁するように穂乃果が答えた。
「つまりにこちゃんは、真姫ちゃんに渡すプレゼントを何にするかで迷ってるってわけ?」
「ええ、百発百中大当たり。宝くじだったら間違いなく一等3億円確定ね」
やった!と穂乃果の顔が嬉しそうに綻んだ。3億円なんて大金はどこにもないけど、とりあえず褒めてあげるわ。
「色々考えてはみたんだけどねー。考えれば考えるほど頭の中がごちゃごちゃになっちゃって、仕舞にゃわけわかんなくなってさぁ。――ああ、アクセサリーとかも一応考えたのよ? ネックレスとか指輪とか。そこら辺が一番無難かなって思ったんだけど、それもなんか違うかなーって」
「ふふ、にこらしいわね。――でもそうね…そういうことなら一ついい手があるわ」
「あ、私も1個思い浮かんだかも」
「はぁ? 何よ、言っとくけどあんまり高いものは買えないわよ? 予算だってあんまりないし」
「大丈夫よ、お金はほとんどかからないわ。必要なのはにこの気持ちと――実行するだけの勇気と度胸ね」
うんうんと、深く頷く絵里の意味深な発言に便乗するように、穂乃果はガッツポーズを決めながら「女は度胸だよ!にこちゃん!」と、これまた意味深なドヤ顔を向けられた。
どうやら2人の意見は一致しているらしいが、果たしてどんな無理難題を押し付けられるのかと、一抹の不安がよぎる。――というか不安どころの話じゃない。何故だかひどく嫌な予感がした。ぞくぞくと背筋に寒気が走る。こういう時の予感は決まって的中してしまうので、できれば今すぐ逃げ出したい気分だった。
いっそこの話はここで切り上げて、お土産だけ買って早々にここから立ち去ろうとか思案し始めたその時、どうやら時すでに遅かったらしく、嫌な予感を現実のものとされてしまった。
「にこ、あなた脱ぎなさい」
「そうだよにこちゃん、それしかないよ! ファイトだよ!」
とりあえず、眉間に寄ったしわを指でほぐした。この子達と付き合ってたら、穂乃果の言うとおりこの歳で本当によぼよぼのお婆さんになってしまいそうだ。原因はストレス過多による老化促進ってところかしらね。
「何がそれしかないのかわからないけど……とりあえずわかるように説明しなさい。一応聞いてあげるから」
真剣な顔で何を言い出すかと思えば、突然人に向かって「脱げ」とは何事か。一歩間違えれば通報されてもおかしくない言葉だ。
どうやらこの10年と言う歳月は、絵里からかしこさを奪ってしまったらしい。圧倒的にかしこさが足りてない。かしこいかわいいエリーチカは、今やただのかわいいエリーチカに成り下がってしまったらしい。かわいいだけマシだろって? だから始末に負えないのよ。
「簡単な話よ。猿でもわかるように順序立てて説明するからよく頭に叩き込みなさい」
「あーはいはい…いいからさっさと言いなさいよ」
投げやりに言って返すと、絵里はどこからともなく紙とペンを取り出して、箇条書きで何やら書き始めた。横目でちらりと覗きこむと、そこにはこう書かれていた。
一、にこを裸に引ん剥く。
二、にこにリボン(赤)を巻きつける。
三、真姫に向かって「プレゼントはあ・た・し♪」と言う。
四、ゆうべはおたのしみでしたね。
「以上よ。何か質問は?」
絵里のドヤ顔もここに極まった。
「痴女か!? 痴女なのか!? そんな漫画みたいな展開ありえないでしょーが!!」
嫌な予感は見事的中した。私の第六感はむしろ冴え渡っているほうだと思う。
それにしたって裸リボンでプレゼントはわ・た・し♪ なんて今時マンガの中でだってお目にかかれないのではないだろうか。ある意味王道ではあるんだけど、それをリアルでやったら間違いなく痴女の烙印を押されてしまう。
「…え? こういうのって普通やるものじゃないの? ねぇ穂乃果?」
どうしてそこで真顔で返すのかと思っていたら、
「も、もう! そこで私に振らないでよ! 恥ずかしいから!」
「え…? 何その反応…ま、まさかアンタ達…」
今度は別の意味で嫌な予感がした。自分には直接関係はないが、聞かずにはいられなかった。
絵里は昔を懐かしむように天井を見上げると、その口から驚愕の事実を語ってみせた。
「……2、3年くらい前だったかしら、クリスマスにね、穂乃果が私にプレゼントしてくれたのよ――裸にリボン巻いてプレゼントは私って――。てっきり日本の伝統的な贈り物だと思ったけど……違うの?」
「穂乃果…アンタ…馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、まさかここまでだったとは…」
ついでに絵里もバカだ。むしろアホだ。もはや救いようがない。真姫ちゃんに頼んで一度頭の中を掻っ捌いて診てもらった方がいいかもしれない。
「えー! ひどいよにこちゃん!」
「ひどくないわよ、普通リアルでそんなことする人いないでしょ」
「だ、だってぇ…あの頃は絵里ちゃん目当てのお客さんとか大勢いて……クリスマス前とかホントひどかったんだよ? 絵里ちゃんってこの通り超がつく美人さんでしょ? 言い寄ってくる男の人とかいっぱいいて、このままじゃ絵里ちゃん取られちゃうかと思ったんだもん。だからそれくらいインパクトの強いプレゼントじゃなきゃダメだと思ったの」
「もう…そんな心配しなくても私は穂乃果一筋よ? まったく心配性ね。まぁ、あのプレゼントは美味しくいただかせてもらったけど」
あの時の穂乃果には見事に悩殺されたわ――と絵里はご満悦な表情でうっとりしていた。きっとその年の聖夜は文字通りの性夜になってしまったのだろう。
「絵里ちゃん…」
「ていうか、私からしたらむしろ穂乃果の方が心配よ。穂乃果ってこの通り超がつく天使でしょ?」
超天使――どうやら新しいジャンルの誕生らしい。とりあえず私の目には、穂乃果は穂乃果の皮を被った穂乃果にしか見えない。とりあえず絵里は脳外科のついでに眼科のお世話にもなった方がいい。
「ここ最近は特にひどくてね…穂乃果目当ての悪い虫が後を絶たないのよ」
「えー、そんなことないよ! 絵里ちゃんに比べたら私なんてぜんぜんだもん。それに、私だって絵里ちゃん一筋だよ!」
「わかってる。そこは疑ってないわ。ただ、いい加減目触りだからね、この前、穂乃果を口説きにきた男にエリチカ特製の激辛穂まんじゅうをお見舞いしてやったわ。これに懲りたら、穂乃果に手を出そうなんて思わないでしょうね」
「……客相手に何やってんのよアンタは……」
はぁっと溜息つきつつ、呆れ顔で絵里を見やった。
「お客さんだからって何をやってもいいってわけじゃないのよ? お客さんもお客さんなりのマナーを持たなきゃダメなの。特にここ穂むらで穂乃果に手を出そうなんて考えている輩には容赦しないわ。それ相応のおもてなしをもって対応しなくちゃね」
おお怖い怖い…触らぬエリチカに祟りなしだ。
まぁ、2人とも頭の中身はともかくとしても、黙っていれば誰もが振り向くような美人だ。お近づきになりたいっていう猛者が現れてもなんらおかしくはない。万が一にも見込みはないだろうけど――。
そもそもμ’sのメンバーはどいつもこいつもおかしいのよ。1人1人が一騎当千の逸材ばかりなんだもの。世の中って不公平よね。これじゃ私の立つ瀬がないじゃないのよ。私だってμ’sの一員なのに、他に比べるとさっぱり変わってる気がしないんだもの。特に胸。
「――で? どうするのにこ? こう言ってはなんだけど、裸リボンでプレゼントもやってみるとなかなか乙なモノよ? たぶん真姫なら喜んで受け取ってもらえると思うけど」
「いやいやそういう問題じゃないでしょ! これは人としての尊厳の問題よ! 高校生の頃ならまだ笑い話ですませられるけど、いい歳した女が裸にリボン巻いてプレゼントはわ・た・し♪ なんてやってみないさよ、末代までの恥になっちゃうでしょーが!」
「やれやれ、わがままねぇ。それじゃ他に何かいい案でもあるの? それとも無難にアクセサリー類で我慢しとく?」
「そ、それは…でも…だからって私なんかが脱いだって真姫ちゃんに鼻で笑われるだけだと思うし…」
穂乃果レベルとは言わないまでも、せめて海未ちゃんレベルの戦力があれば私だって考えたかもしれない。
「何言ってるのよ? 高校時代からにこ一筋の真姫は正真正銘の貧乳萌えよ?」
「そうそう! にこちゃんの凹凸のないボディなら真姫ちゃん歓喜の嵐だと思うよ!」
「凹凸ない言うな!!――ってちょっと待ちなさい…絵里、あんた今なんて言った?」
暴言の方はとりあえず捨て置くとしても、私の耳は確かに聞き捨てならないワードを捉えた。
「真姫は貧乳萌え」
「そうじゃない!その前!」
「え? 高校時代からにこ一筋ってこと?」
「うそ…え、ホントに?」
もしかしたらと、思っていたことがある。もちろん考えなったわけじゃない。
――5年前、私が真姫ちゃんの初めて(ついでに私の初めても)を奪ったそれ以前から、真姫ちゃんが自分のことを想っていてくれたのではないか、という事実を――。
絵里の話(穂乃果もどうやら気付いていたらしいが)を聞く限り、真姫ちゃんは高校時代から私の事を好きでいてくれたらしい。
高校時代――それはつまり10年前から私の事だけを想い続けてくれたと言うことになるわけで…。5年どころかその倍以上真姫ちゃんを待たせてしまった私には、もはや救いの神ですらさじを投げてしまうのではないだろうか。
「え、何その反応? あなたたち、高校時代から付き合ってたんじゃなかったの? あんなに仲良かったからてっきり付き合ってるものだとばかり思ってたけど…」
「ち、違うわよ…付き合い始めたのは…その…同棲始めてからで…」
「「…え?」」
「やめて、お願いだからその世にも奇妙なモノを見るような顔で私を見ないで。せめて汚物を見るような目で私を見て」
どちらにしても救いようがないことには変わりない。それくらい今の私は切羽詰まっていた。
事実は小説より奇なりとはよく言うが、突き付けられたそれは私の予想を遥かに超える現実として、今まさに私を崖っぷちに追い込んでいる。いっそこのまま奈落の底に落ちてしまおうか。
「ふぅん…何か様子が変ね…。にこ、とりあえずあなた達の間に何があったのか話しなさい。包み隠さずね。――ああ、逃げだそうなんて思ってるなら、エリチカ特製激辛穂まんじゅうをお見舞いするわよ?」
「う…は、話さなきゃだめ?」
「だめ」
「はーい、私も聞きたいでーす!」
「はぁ…わかったわよ…とりあえずお茶お願い」
穂乃果が淹れ直したお茶をグイッと一気に飲み干すと、胸のもやもやが若干和らいだ。これでも気が晴れないあたり、私も相当参っているのかもしれない。
絵里の妙な迫力に圧され、私はしぶしぶ全てを語った。全てを語る、というには心許ない記憶容量だったが、そこに含まれる内容はカルピスの原液なみに濃度の濃いものだった。
始まりはもちろん――あの日記帳から。
多少の誤植はあったものの、5年前に起きた事件はすべて事実だったこと。
それがきっかけで私と真姫ちゃんの距離が縮まり、嬉し恥ずかし同棲生活が始まったこと。
そして今日、同棲一ヶ月の記念日を迎えたこと。
思い起こせば、話せることなんて限られている。
5年と言う月日は長いように見えてあっという間の出来事だった。真姫ちゃんとの思い出だって、些細なことから大きなことまで、それなりに体験してきた。
けど、今の私と真姫ちゃんを取り巻く現状を形作ったのは、やはり5年前の出来事と、2カ月前のあの夜がすべての始まりだったから――。
「――と、言うわけなのよ…」
「「……」」
「…なによ、言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ。今日の私は寛大だから何でも聞き入れてあげるわ」
珍しく真面目な顔で話を聞いていた2人は示し合せたように顔を見合わせると、コクリと頷きあった。
私は気を引き締めた。第一声はなんとなく予想できていた。
「鬼畜ね、にこ」
「ぐっ…!」
「外道だよ、にこちゃん」
「はぅっ…!」
情け容赦なく言葉の弾丸が飛んでくる。無い胸が抉られる思いだ。予想はしてたけど精神的ダメージが半端ない。2人合わせて鬼畜外道とは、でも間違っちゃいないので反論なんてできやしない。
「にこ、あなたやっぱり脱ぎなさい。これは命令よ」
絵里は眉根を吊り上げながら凄んだ。正直怖い。まるでμ’sに入る前の、荒れていた頃の絵里みたい。
「そうだよにこちゃん! 真姫ちゃんを待たせた罰だよ!」
「えぇっ!? い、いやでも…」
しかも今度は穂乃果と一緒になって私を責め立てるのだから、逃げ道を封鎖されたも同然だった。
誰か私に味方してくれる救世主はいないのかしら? いるわけないわよね…ハハッ!
「でももストもないわ。正直、全裸で逆立ちして町内一周くらいさせたいところだけど、公然猥褻で逮捕されたら真姫が悲しむからね。それじゃ本末転倒だし、今回は真姫の一途さに免じて『裸リボン&プレゼントfor真姫』で許してあげるわ。感謝しなさい」
いや、一体何を感謝しろと? わけわかんないわよ。
「え、これって本当にガチでやる流れ? 冗談とかそういうんじゃなく?」
「「ガチで!!」」
圧倒的迫力でずずずいっと顔を近づけてくる2人に思わず引きつった笑みを浮かべた。全身の毛穴という毛穴から汗が噴き出るようなぞわぞわした嫌な感覚がその身を襲う。
(ああ…頭痛くなっていたわ…)
もう駄目だ…勝てるわけがない。逃げ出そうにも左右からがっちりと肩を掴まれ、逃げ出す前からすでに結果は見えている。退路は断たれたも同然。つまり私には今、三つの選択肢が与えられているということだ。
一、裸リボンをせずに死ぬか――。
二、裸リボンをして生き残るか――。
三、焼き土下座で勘弁してください☆
ゆえに答えは決まっているようなものだった。
どうやら私の運命は、裸リボンを強いられる未来へと続いているらしい――。
私も命運もここで尽きるのかもね…ハハッ!
もう、笑うしかなかった――。
※
和菓子屋「穂むら」から帰宅する頃には完全に意気消沈していた私だったが、ふとした瞬間に真姫ちゃんの顔を思い出し、気合いを入れ直した。
せっかくの記念日だもん、沈んでなんていられないわよね。
とにかくやる事はたくさんあったので、まずは情報収集から始めた。今の時代、ネットさえあれば料理のレシピくらいは簡単に手に入るから助かる。とりあえず良さそうな料理をいくつかピックアップし、レシピ帳にまとめた。
買ってきた材料をキッチンに並べ、エプロンドレスを装備。気合いも新たに両手で頬をパチンっと叩く。心地のいい痛みに頭がすっきり覚醒した。
そこから先は私の腕の見せ所だ。
「さぁやるわよ――!」
今この時、ここは戦場となる。真姫ちゃんへの愛が私を1人の戦士へと変えた。
数ある食材を包丁であるべき姿へと切り刻み、ある時はフライパンで炒め、ある時は鍋で煮込み、徐々に料理と呼べるものへと変わっていく。それはまるで、魔法と呼べるほど鮮やかなものだった。
そんな楽しい時間が進むにつれ、やがて空は夕焼け色に染まり、すべての料理が完成する頃には完全に日が落ちていた。
闇夜が誘う。運命のその時へと――。
「――よっし完成! 我ながらいい出来じゃない♪ これなら真姫ちゃんも喜んでくれそうね!」
テーブルの上に、完成した料理を並べていく。
鼻の奥にツンと、香ばしいトマトの香りがした。思わずごくりと喉を鳴らす。自分で作っておいてなんだが、我ながらすごいと思う。見てるだけで涎が出てきそうなほど美味しそう。
このトマトとジャガイモのグラタンとか、トマトのリゾットとか、結構自信作だった。
普段からトマト料理は作るけど、一品が精々だから、こうしてトマトをふんだんに使ったスペシャルメニューは初めてだった。最初こそどうなることかと思ったが、なかなかどうして満足のいく出来だと自負してしまう。
「これであとは真姫ちゃんが帰ってくれば完璧ね!」
時計に目をやると、そろそろ真姫ちゃんの帰宅時間だった。多少遅れてもいいように時間を調整しながら作ったから、たぶん問題はないだろうとは思うけど。
さて、真姫ちゃんが帰ってくるまでどうしよう――なんて思っていると、
『ただいまー』
ガチャリという扉の音がしたと思ったら、壁の向こう側からでもはっきりと聞こえる真姫ちゃんの美声が鼓膜を突いた。
なんてベストタイミング! やっぱり今日の私は神様に愛されているのかもしれない。神様に見放されたと思ったのはきっと何かの間違いだったのよ。
「おかえり~、まーきちゃん♪」
パタパタとスリッパを鳴らしながら愛しの真姫ちゃんをお出迎え。傍から見たら、愛しの旦那さんを出迎えてる奥さんみたいに見えるかもしれない。ちょっと照れるわね…嬉しいけど。
「ただいま、にこちゃん」
「おかえりなさい。お仕事どうだった?」
「ん、特にこれと言って問題はなかったわ――あ、これお土産ね。ケーキ買ってきたから、後で一緒に食べよ?」
「へ? あ、ありがと」
スーツに白衣姿の真姫ちゃんは、Yシャツのボタンを緩めながら白い箱を手渡してきた。中身はケーキらしいけど、それより気になることがひとつ。
「珍しいね、真姫ちゃんがお土産なんて?」
真姫ちゃんがお土産買ってくるのって、もしかして初めてじゃない? いつもはお土産なんて買ってくる子じゃないんだけど。基本的にお土産担当は私の仕事になってたし。あ、お土産っていうのはもちろん「穂むら」の和菓子ね。
「だって今日はとくべ――じゃなかった。た、たまたまよ、たまたま! たまたまケーキ屋の前を通りかかったから買ってみたの。たまにはケーキもいいかなって。あ、あとは特に理由なんてないわよ!」
「ふーん…まぁいっか」
これ以上詮索するなと頬を赤らめる真姫ちゃんの様子も多少気になったが、それよりもせっかく作った料理が冷めてしまうのは得策じゃないので早々に切り上げることにした。
「それより真姫ちゃん! もう晩御飯できてるよ! 食べたいよね? ね? お腹すいてるよね? ね?」
「そ、そんなに念押さなくてもいいわよ…ま、まぁお腹は空いてるけど」
「いよーし! じゃあ一名様ご案内~♪」
「ちょっ…! お、おさないで!」
我ながらはしゃぎ過ぎだとは思うけど、真姫ちゃんの顔見てたら早く喜ぶ顔が見たくなっちゃって。真姫ちゃんの背中をぐいぐい押しながら、半ば放り捨てるようにリビングの中に真姫ちゃんを押しこんだ。
「も、もう…! いったいなんなわけ?――って、これ…!」
「ふふ~ん、どう? にこ様特製トマト料理のフルコース! きっと真姫ちゃんの舌も落ちちゃうわよ~」
いつもはあまり隙を見せない真姫ちゃんも、その目に映る豪華絢爛な料理の数々に唖然として口を半開き。ここまで驚いてくれれば、サプライズパーティーとしては大成功よね。
「い、いやその…すごく美味しそうではあるんだけど…どうしてこんな――?」
「へ? あ、いやその…」
ある意味ごもっともな質問に思わず口籠る。
さて何て答えよう?
ここでバカ正直に「今日は同棲一ヶ月記念だよ♪」なんて言えるわけないし、言ったら言ったで「イミワカンナイ!」とか言われて引かれちゃいそうだし…。
とりあえずここは誤魔化す方向で――。
「た、たまたまよ! たまたま! 今日はスーパーの特売日でトマトが安かったの! いっぱい買っちゃったから新しい料理に挑戦してみようかなって、そう思っただけなんだから!」
「ふぅん…」
明後日の方向を向きながら誤魔化す私を、探る様な視線でジーっと見つめる真姫ちゃん。そんなに見つめられると顔に穴が開いてしまいそうだ。
「ほ、ほら! あんまりしゃべってるとせっかくの料理が冷めちゃうよ? 早く食べよ?」
「ええ…わかったわ」
真姫ちゃんは終始不満そうな顔を浮かべていたが、すぐに諦めたように溜息をつくと自室へと戻っていった。
しばらくして部屋着に着替えた真姫ちゃんが戻ってくる。
席に着くや否や「おいしそう…」なんて呟きながら心ここにあらずと言った感じで目の前の料理に夢中になっていた。
どうやら何から食べようか迷ってるみたい。そのキラキラとした眼差しがなんだか小さな子供みたいで、少しおかしくなってしまう。
私はグラスにワインを注いで、乾杯の音頭を取った。
「えー、今日という私達のきねん――じゃなかった…スーパーの特売日記念に乾杯!」
「…ちょっと苦しいわね……――まぁいいわ。乾杯」
グラスを合わせた瞬間、カキンと爽快な音が鼓膜を揺らす。
私達のささやかな記念パーティーが今始まった――。
※
楽しい時間というものは、あっという間に過ぎ去るものだ。
あんなにたくさんあった料理の数々も、今ではすっかり私達の胃袋の中。ある意味思い付きから始まったこの記念パーティーも、つつがなく終わりを迎えようとしていた。
しかしながら、まだ終わりではない。行って帰るまでが遠足なのと同じように、アレをやらずしてこの記念日に終わりはないのだからして。
「やばい…緊張してきた…ってかホントにやるの? いやでも…うぅ…どうすりゃいいのよぉ…」
寝室で1人頭を抱える私の今の心境は、言わなくても察してほしい。
先ほどまであんなに楽しい時間を過ごしていたというのに、一転して絶望の淵に立たされるとは思わなんだ。楽し過ぎるというのも、ある意味考えものかもしれないと、今日ほど実感した日はないかもしれない。
パーティーをしている間はそう――本当に楽しかった。
美味しい料理をたらふく食べながら、自然と笑顔になる私達の話も弾み、時間を忘れるほど楽しんだ。それはとても幸せなひとときで、気付けばその後に待ちうけるプレゼントタイムのことなどすっかり忘れ去っていた私を誰が責められよう。
パーティーの余韻に浸りながら、後片付けを済ませ、真姫ちゃんをお風呂に突っ込んだところまではよかった。先にお風呂を済ませていた私はるんるん気分のまま寝室へと戻り、そこでふと思い出す。
――あ、プレゼント…と。
それはまるで、時限装置のように的確に私の脳内を埋め尽くした。あらかじめ設定してあった時間にスイッチが入るのと一緒だ。全てを思い出した私は、プレゼント用にと雑貨屋で買ってきた長めのリボン(赤)を前にして頭を抱える羽目になる。
そして今に至るわけだが、絵里や穂乃果に念を押され、おまけに後日結果を真姫ちゃんから問いただすとまで言われては、土壇場で逃げ出すという選択肢すら選べなかった。
「と、とりあえず…巻いてみようかしら。まずは付けてみないことには話にならないわよね…うん」
結果はどうあれ、まずは誠意を見せなければと思った。心の準備はまだ出来ていないけれど、まずはスタート地点に立たなければ話にならない。
「なせばなる! 矢澤にこ、一世一代の大勝負よ!」
こんな大勝負は今後二度と御免こうむりたいが、とにかく意を決して服を脱ぎ始めた。
そこは無論、下着から何まで身につけているものすべてだ。生まれたままの姿になった私は、高校時代からまったく変化のない体に「相変わらず貧層な体つきねー…」なんて他人事のように呟きながら、自身の体にリボンを巻き付けていく。
すでに心臓は破裂しそうなほどバクバク言っていて、限界突破した羞恥心は全身をほんのりと赤く染めていた。
そうして苦難の末、なんとかかんとか真姫ちゃんへのプレゼント――矢澤にこ(全裸リボン)が完成した。
「ごくり…」
生唾を飲み込みつつ、恐る恐る等身大の鏡の前に立ってその身を確認する。
とりあえずの第一声はこれしかないと思った。
「うわぁあああん、やっぱり痴女じゃないですかやだぁぁあああ!!!」
思わず変な口調になってしまったが、それだけ錯乱していたのは確かだった。上も下も肝心なところは隠れていたけれど、これはもうそんな次元の問題を遥かに超えていた。
果たして今までの人生、こんなスタイリッシュな痴女を目にしたことはあっただろうか。いやない。10人入れば10人が口を揃えて「痴女や…痴女がおる」なんて言いそうな格好で、今から私は真姫ちゃんに向かって「プレゼントはわ・た・し♪」なんて媚を売るのだ。
これが悪い夢なら早く覚めて欲しい。
「やっぱ無理よぉ…こんな洗濯板じゃ真姫ちゃんに笑われちゃうって絶対…」
問題はそこじゃないと思うけど、絶対的な壁を前にして思わず言葉を漏らしていた。
「こんな姿で、真姫ちゃんの前にでるの…?」
考えただけでも顔から火が出そうだった。恥ずかしい以前に己の戦力が無しにも等しい現実に絶望する。
海未ちゃんレベルは欲しいと言ったがあれは嘘だ。希や絵里と言った化け物クラスは論外としても、せめて花陽やことりちゃん並の戦力が自分にもあればまだ話は変わってきたかもしれない。
こんな見ただけで自信を喪失してしまうようなまな板が相手じゃ、いくら貧乳好きの真姫ちゃんだって「YESロリータNOタッチ!」宣言してしまうかもしれない。…見た目ロリでも中身はいい歳してるけど。
「や、やっぱ無理…! プレゼントはまたの機会ってことで今回は――!」
あとで絵里と穂乃果にヘタレの烙印を押されてしまいそうだが知ったことじゃない。自分の名誉を守るためなら甘んじて受け入れる覚悟は出来ていた。真姫ちゃんへのプレゼントだって、別に今日渡さなければいけないわけじゃないのだ。
さぁそうと決まれば話は早い。早々に着替えて何事もなかったように――と、思った矢先、背後からガチャリと扉を開く音が嫌にはっきりと耳に届いた。それが何を意味するのか、混乱した頭でもすぐにわかった。
「……ちょっとにこちゃん、何騒いでるの? 部屋の外にも大声が響いてたわよ――って、う゛ぇ?」
「へ…?」
それは絶望への片道切符。恐る恐る振り返ると、扉の前にいたのは唖然とした表情で私を見つめる真姫ちゃん。
その瞳に映るのは、当然、スタイリッシュ痴女こと私――矢澤にこ。
神様…どうしてあなたは私にこんな仕打ちを? もしかして逃げ出そうとした罰ですか? はは、そうですよね。
「ま、まま真姫…ちゃん?」
「ち」
「ち…?」
「痴女?」
「ぎゃぁぁあああああ!!! 言うなぁああ!!!」
わかっていても、その一言は辛かった。
涙が出ちゃう、だって女の子だもん!
※
「――で? これはいったい誰の入れ知恵なわけ?」
「え、絵里と穂乃果です…はい。今日、穂むらに行ったときに…ね」
「はぁ…まったくあの2人は…ろくなこと教えないわね。だいたいにこちゃんは――」
果たして、これは一体全体どういう状況なのだろうか。自分の置かれている状況がまったく理解できなかった。
あの後、不本意ながら痴女の烙印を押され私は、正気を取り戻した真姫ちゃんに「にこちゃん、ちょっとそこに正座」と有無を言わさない迫力で正座させられた。
とりあえず言われるまま正座したはいいが、今の状況を客観的に見たらどうなるだろうか。
27歳にもなる女が、素っ裸にリボン巻いてベッドの上で正座しているこの状況――。
ありえない。ありえないけど、ありえないなんてことはありえない。現に今こうして世界で1、2を争うほどレアなケースに身を置いている。下手したらこんな体験をする人間は、この世界が終わるその時まで私1人だけの可能性だってあるのではないかと――。
とにもかくにも、私は今、真っ裸にリボンを巻いた状態で正座させられ、真姫ちゃんのお説教に耳を傾けていた。
「――で? 結局どうしてこんなことしようと思ったわけ? 絵里達に言われたからってわけでもないでしょ?」
「えと…その…ま、真姫ちゃんにプレゼントしようと思って…」
「プレゼントねぇ…正直、こんなのプレゼントされても困るだけなんだけど」
「で、ですよねー…」
私だってそう思う。まぁ、真姫ちゃんが裸リボンしてくれたら嬉しいかもだけど。
真姫ちゃんは軽く溜息をつくと、窓の外のどこか遠くを見つめながら、ポツリと言葉を紡いだ。
「そう言えば…今日はにこちゃんが家に来てちょうど一ヶ月よね…」
「へ? ま、真姫ちゃん覚えて――」
その一言に驚く間もなく、私の言葉をさえぎるようにして真姫ちゃんは続けた。
「にこちゃんの作ったご馳走…とっても美味しかったわ。ありがとう」
「う、うん…どういたしまして…」
もしかしたら、今日がどういう趣旨のパーティーなのか気付いていたのかな。少し気になったけど、でも聞くだけ野暮のように思えた。それに、真姫ちゃんの優しい表情に見惚れて、それどころじゃなかった。
「あっという間の一ヶ月だったわね…」
「だね…」
「にこちゃんと一緒に暮らせて本当に楽しかった」
「私も、楽しかったよ。すごく、すごく…」
「そう…正直、こんな時なんて言ったらいいかわかんないけど…とりあえず私から言いたいことはひとつだけ――」
「え?」
真姫ちゃんはしっかりと私の目を見て、意思の通った声ではっきりと告げた。
「――これからも、ずっと一緒にいてほしい」
「っ!」
その言葉の中に真姫ちゃんの気持ちがどれだけ詰まっているのかわからない私じゃない。10年と言う長い歳月の中、変わらず私を想い続けてくれたこの子の気持ちが痛いほどよくわかる。
たぶん、これが最後のチャンスだと思った。見た目ただの真っ裸にリボン巻いた変態女だけど、ここで自分の気持ちを告げなきゃ、このまま一生言えないような気がした。
(…だから、ちゃんと言わなきゃね――)
あんなに伝えることを渋っていたのに、不思議なもので今の私はずいぶんと落ち着いていた。
トクントクンと、静かな鼓動を刻む胸に手を当てて、すぅっと軽く息を吸う。そっと目を閉じて、心の引出しを開けて、真姫ちゃんに伝えなきゃいけない言葉を、想いを、ひとつ残らず引っ張り出す。
「私もね、真姫ちゃんに言いたいことがあるの」
「…え?」
しっかりと前を向いて、真姫ちゃんの目を見て、気持ちを言葉に乗せる。
「ずっと待たせてごめん。それから、こんな私をずっと好きでいてくれてありがとう」
「っ…! に、にこちゃ――」
ちょっぴり泣きそうな顔で、何か言いたそうな真姫ちゃんに向かって首を振って制する。
私の話はまだ終わってない。これを言わなきゃ、きっと本当の意味で私達は始められないと思うから。
「私は、真姫ちゃんのことが好きっ…! 大好きだからっ…! ずっと、これからも…私と一緒にいてください!」
はは…なんだ、やれば出来るじゃない私。こんな簡単なことも言えなかったなんてバカみたいよね。
ふと、頬を熱いものが伝った。ああ、私泣いてるんだって気付いた時には、真姫ちゃんの腕に抱かれてた。
ぎゅっと強く、離れないように、離さないように、誰よも愛しい真姫ちゃんのぬくもりが伝わってくる。
私も真姫ちゃんの背中に腕を回して、そのぬくもりを全身で感じた。
「なんだか…ずいぶんと遠回りしてきたわよね、私達…」
真姫ちゃんが苦笑まじりにそう言った。
「あはは…そうかもね、ずっと言おう言おう思ってたんだけど、こんなに時間掛っちゃった。ごめんね、真姫ちゃん…」
「いいわよ、気にしなくて。どうせ私は、にこちゃんのことしか好きになれないし、ちょっとくらい遅くなったって構わないわ」
「……10年も私のこと想い続けてきた人のセリフは説得力が違うわね」
「気付いてたの…?」
「ううん、絵里に聞いた」
「そう…別に10年くらいなんてことないわ。むしろこんな簡単なことすらできない方がおかしいのよ」
言葉にするほど簡単でもない気がするけど、きっと真姫ちゃんにとってはそうなのだろう。
10年と言う歳月は長いようで短く、短いようでとても長い月日。それだけの時間、たった一人のことを想い続けることがどれだけ難しいのか、正直私には見当もつかなかった。
「にこちゃん」
「…なに?」
「好きよ」
「っ…う、うん…私も好き」
「……愛してる」
「……ん、私も、あいしてる」
そっと真姫ちゃんの腕から抜け出して、真姫ちゃんの目を見つめる。真姫ちゃんも私を見つめ返して、優しく頬笑みながらそっと目を細める。
揺れる瞳は熱い光を放っていた。朱色に染まる頬は確かな期待を孕んでいた。気持ちを、想いを伝える方法は言葉だけじゃないから。それを知っている私達に、これ以上の言葉は不要だった。
そっと閉じられる瞳、どちらからともなく顔を近づけて、吸い込まれるように互いの唇が重なった。
頭の芯から痺れるような、甘く蕩けるような熱いキス――。私達の想いは、今ようやく一つに溶けて混じり合う。
そう――きっとこれが、私達のスタート地点――。
今日という日を、私は一生忘れることはないだろう。
……いろんな意味でね。
「――それはそうと、にこちゃん? このプレゼントは貰ってもいいのよね?」
まったく、このままいい雰囲気のまま終わらせてくれたらいいのに、真姫ちゃんったら空気が読めないのなんのって。
突然意味不明なことを言い出した真姫ちゃんの腕に力が込められたかと思ったら――、
「へ? あ――」
気付いた時には背中に柔らかな感触があった。一瞬の間を置いて思考が追い付くと、自分の状況を冷静に判断できた。つまりは、ベッドに沈んでいたのだと――。
私を見下ろす真姫ちゃんの瞳が妖しく光る。そう言えば私、ずっと裸にリボン巻いてたんだっけ。これじゃ食べてくださいと言ってるようなものか。
でもここで負けを認めたらちょっと悔しいから、最後の抵抗にと悪あがきしてみる。
「い、いやあのね真姫ちゃん…? これはその、冗談っていうかなんていうか…そ、それにこんなプレゼントなんていらないんじゃなかったの?」
「いらないなんてひとことも言ってないわ。困るとは言ったけどね」
「へ、屁理屈だよ!」
「ふふ…私、貰えるものは何でも貰う主義なの。それに――」
「そ、それに…?」
真姫ちゃんはにやりと口元を歪めて、胸元のリボンに手をかける。
「こんなに美味しそうなプレゼント、貰わない手はないわよね? ご丁寧にリボンまで巻いてあるんだもの、これはもう、私の好きにしていいってことよねぇ、にこちゃん?」
あっ――と思った瞬間にはもう遅く、真姫ちゃんの手が引かれたかと思ったら、リボンは抵抗もなく解かれてしう。
さてここで問題です。無残にも宙を舞ったリボンが床に落ちるのと、真姫ちゃんの唇が私の体に落ちるのと、どっちが早かったでしょうか――?
答えは――うん、ご想像にお任せするわ。