※追記からどうぞ。
カタッと、戸棚のガラスが静かな音を立てた、ような気がした。
「ほぇ?」
思わず振り向いて確認したけれど特に変わった様子はない。
(…気のせいやろか…?)
不思議に思いながらも生徒会の仕事に戻ろうとプリントに手を伸ばしたその時だった。
ガタッ!
今度ははっきり強く感じる。
ガタッガタッガタタッ、と一度や二度じゃない振動音がして。いつしかそれは大きな揺れとなって生徒会室、いや校舎全体を揺るがしていた。
――地震。
それが何であるか、知らない人間はいない。
地震、雷、火事、親父、その中でダントツのトップを誇る自然の脅威。
ガタガタガタガタッ!!! と、揺れは徐々に大きく激しくなる。
立っているのもやっとだった。
「わわっ!?」
突然の揺れにパニックを起こして思考がうまく働かない。
焦りが心を支配して冷静な判断ができない。
こんな時の対処は防災訓練で幾度となく教え込まれていたはずなのに。
それらは完全に頭の中から消え失せ、真っ白になって、
(ど、どうしたらええのっ?!)
焦りは恐怖となり体が震えだす。それでも本能的に助けを求めて、
「あっ綾乃ちゃん…!」
親友の、彼女の名前を呼び叫んでいた。
「千歳っ」
「じ、地震や!? ど、どどどないしよっ?!」
「落ち着きなさい千歳! まずはテーブルの下に隠れましょう!」
「う、うん!」
一人じゃないことに少し安堵する。
綾乃ちゃんの言葉に頼もしさを感じながら、言われた通りさっそくテーブルの下に避難しようと試みた。
が、しかし。
地震の揺れが酷くなるにつれ足元が覚束なくなり、恐怖も相まってか、そこから微動だにできなくなる。
「…ふぇ…っ!」
恐怖に駆られ涙が出そうになる。
もう私はダメなんじゃないかと思い始めて。
でもそんな私に気付いた綾乃ちゃんが、
「っ…千歳!こっちよ!!」
「あ、綾乃ちゃっ…!」
地震で激しく揺れる部屋の中、私の元へと駆け寄り強引に手を引いて、私ごとテーブルの下へと滑り込んだ。
一瞬何が起こったのか理解できずに放心していた。
しかしふいに柔らかな感触に身を包まれ、ハッとする。
顔を上げると目と鼻の先に綾乃ちゃんの顔があって少し驚く。
「大丈夫、千歳? 怪我してない?」
「あ、あやのちゃん…? う、うん…う、うちは大丈夫やけど…」
「そう…良かったわ」
綾乃ちゃんは優しい瞳を向けながら微笑みかける。
――トクンッ!
それが私にはとても眩しく映って、不覚にも胸が高鳴った。
なんや、顔が、熱い…。
「あ…綾乃ちゃん…う、うち…」
「大丈夫よ。しばらくすれば揺れもおさまるはずだから。ジっとしてましょう」
「う、うん…」
地震の揺れもピークに差し掛かったのか、揺れ幅がだいぶ安定してくる。
これ以上強い揺れは来ないだろうとは思うが、それでもやっぱり恐いものは恐い。
「恐い?」
綾乃ちゃんは揺れの中、そっと囁きかけるように問う。
小刻みに震えるうちの体をそっと抱き寄せながら。
「……」
私は無言で頷いた。
正直なところ、私は昔から地震というものが苦手だった。
そもそも得意な人などいるはずもないが、私のそれは郡を抜いていると思う。
心が、本能がそれを絶対的なまでに拒絶する。
綾乃ちゃんはそんな心情を察したかのように、安心させるように微笑み、小さな子供をあやす様にそっと背中を撫でる。
「大丈夫よ千歳、私が傍にいるから」
「ぁ…」
「ずっと、傍にいてあげるから…、だから心配しないで」
綾乃ちゃんはそう言って、不安に押し潰されそうな私の心を包み込む。
そっと頭を抱き寄せて、髪の毛を梳くように優しく頭を撫でてくれる。
それがちょっとくすぐったくて、でもとても気持ちよくて、心がホッとする。
綾乃ちゃんに身を委ねる。
胸がドキドキする。
頬に触れた綾乃ちゃんの胸の鼓動が優しい。そのぬくもりが温かい。
私の心は、徐々に落ち着きを取り戻していった。
(綾乃ちゃん…うちは…)
*
しばらくして地震の揺れもおさまりだいぶ静かになって、
ガタガタと揺れ動いていた戸棚やテーブルが音もなく静寂を取り戻す。
「もう大丈夫かしら?」
綾乃ちゃんがキョロキョロと辺りを見回す。
「そ、そやね……」
まだ余震の恐れは捨てきれないので気は抜けないが、それでも安堵の方が大きい。
正直これ以上揺られたら心が折れてしまいそうになる。
しかしその一方で――。
また綾乃ちゃんの胸の中で頭を撫でてもらえるのならそれも悪くないと思う自分もいた。
地震は心底苦手で、出来ることならもう2度と味わいたくないというのに…。
(っ…うち、何考えとるんや! 不謹慎やで!)
ブンブンと頭を振って雑念を払う。
「ほら千歳、手」
「あ、ありがとう」
先にテーブルの下から這い出た綾乃ちゃんが私の手を引いて立たせてくれる。
「それにしても結構強い地震だったわね。震度4か5はあったんじゃない?」
「どうやろうね…。正直、そこまで考えられへんかったわ。ホンマ怖くて怖くて…」
「千歳って確か、地震だけはダメだったものね」
覚えててくれたんか…。なんや嬉しいかも…。
「確か去年も――」
「あっ綾乃ちゃん! む、昔の事は持ち出さんといてぇな、恥ずかしぃやん!」
「昔って…まだ1年も経ってないじゃない」
綾乃ちゃんはクスっと笑みを漏らしつつ昔を懐かしむように目を細めた。
優しさに満ち溢れたその微笑みに思わず見惚れてしまう。
「まぁ…なんにしても。早く生徒会室の片付けしないといけないわね」
「……」
「今日は大室さんも古谷さんもいないし…って、千歳?どうしたの?」
「……へ?」
「話聞いてた? ボーっとしてたわよ」
「あっ…ごめんな~。な、なんでもあれへんから、話続けたって」
パタパタと手を振って誤魔化す。顔が熱くて敵わん。まさか『綾乃ちゃんに見惚れてて話を聞いていませんでした』なんてとてもじゃないが言えるはずがない。
「そう? まぁ部屋の片付けしようって話をしてただけなんだけど。色々散乱しちゃってるし。……ていうか千歳、本当に大丈夫? 顔真っ赤よ?」
「っ!? あ、赤くなんてなってへんて!」
思いがけない指摘に声を荒げて反論した。
「本当かしら?……どう見ても赤いように見えるけど」
怪訝そうに見つめる綾乃ちゃんに慌てて頭を振って、
「ち、ちゃうねん! こ、これは、別に、綾乃ちゃんが…っ」
「私? 私が何かした?」
あかん!! と、心の中で叫ぶ。
これ以上追求されたら余計な事まで口走ってしまいそうで、
「そっ…そんなんどうでもええから、早いとこ部屋の片付けしてしまお!」
「え、えぇ…そうね」
なんとか誤魔化せたことに安堵の溜息を漏らす。
なぜ自分がこんなにも焦りを抱いているのかなんて今更問うまでもない。
それを押し殺す理由も、すべて自分の中で明確な答えを出している。
――それも、ずっと昔から。
“あの人”が綾乃ちゃんの前に現れたその日から。
綾乃ちゃんの気持ちを知ったその日から。
だからこそ、認めるわけにはいかなかった。
自分の気持ちを――。
見て見ぬフリをして、押し殺して、蓋をして、偽り続けてきた。
今日まで繰り返して、そしてこれから先もずっと繰り返す。
だってそれを認めてしまったら何かが変わってしまいそうな、もう二度と戻れない深みに嵌ってしまいそうな気がして、それが恐かったから。
(お願いやから、出てこんといて…)
溢れそうになる綾乃ちゃんへの想い――。
それがいかに強く、絶対的なものか自分自身よく理解している。
それはたぶん、綾乃ちゃんが“あの人”を想う気持ちよりもずっとずっと強くて。
もしそれが完全な形となって私の前に突き付けられたら、自分はもう、今の自分じゃいられなくなる。
(…私の気持ちが届かへんことくらい、ずっと前から分かっとったことやろ…)
綾乃ちゃんとの未来を望んではいけない確かな理由。その先に自分の未来はない。
なぜなら綾乃ちゃんは“あの人”の事を…、
「……歳納京子は大丈夫だったかしら」
綾乃ちゃんの口からボソリと呟かれたその名前。
ふいに耳にしたその名が私に現実を突き付ける。
ズキッ…!!
心臓にまるで杭でも刺されたかのような鈍い痛みが走った。
歳納京子。
綾乃ちゃんの想い人。
私の想いが届かない明確な理由。
――綾乃ちゃんは歳納さんの事が好きだった。
(…そうや、綾乃ちゃんには歳納さんがおる。……大丈夫や、すぐにいつもの自分に戻れるから…それまで我慢し…)
胸の痛みを両手で押さえつつ、心の中で自分にそう言い聞かせる。
今日は運が悪かった。地震という不確定要素に見舞われて、心の底に蓋をしていた気持ちをうっかり表に出しかけてしまった。
(…こんな事、そうそう起こらんから…)
逆にこんな事でもない限り、私は『私』でいられるのだから…。
「綾乃ちゃん、歳納さんの様子見に行ったらどうや? 心配なんやろ?」
「な…なな! ど、どうして私が歳納京子なんかの心配しなくちゃいけないのよ!」
綾乃ちゃんは茹ったタコみたいに真っ赤な顔で狼狽する。
「またまたぁ~、ホンマは心配で仕方ないって顔しとるよ~?」
「バっ…バババカ言ってるんじゃないわよ! だ、誰が歳納京子なんか…!」
「たまには自分の気持ちに素直になった方がええんとちゃうの? そんなんじゃ、幸せが逃げてってしまうで?」
どの口がそんな事を言うのだろう。そのセリフはそのまま自分に跳ね返ってくるというのに。
「なっ…べ、別に私はそんな…!」
「ほらほら~、ここは私が片付けておくから、綾乃ちゃんは歳納さんの様子見てき」
「ぅ…ま、まぁ…千歳がそこまで言うなら、見てこようかしら。で、でも勘違いしないで頂戴! べ、別に歳納京子の事が好きだから様子を見に行くとか、そんなんじゃないんだからね!」
(…そこまで聞いとらへんのになぁ…)
語るに落ちるとはまさにこの事。ツンデレもここまで来るといっそ清々しいものを感じる。もう自分から歳納京子の事を好きだと自白したようなものなのだから。
(…綾乃ちゃんはやっぱり綾乃ちゃんなんやなぁ…)
ある意味正直な綾乃ちゃんにおかしくなる反面、胸の傷みは深みを増していた。
それでも綾乃ちゃんに変に思われないよう、必死になって平静を装い、取り繕う。
「そ、それじゃあ行ってくるから…あとよろしく頼むわね」
ガラっと扉を開けて、綾乃ちゃんは赤い顔を隠すようにチラリと横目で私を見やり、
「うん…、頑張ってな、綾乃ちゃん」
私は最後の最後まで笑顔を向けて手を振り続けた。
綾乃ちゃんが扉を閉める、その瞬間まで――。
「…行ってもーたなぁ、はは…」
綾乃ちゃんがいなくなった後、私は堪らず苦笑気味に笑みを漏らす。
「ええんや…これで。これが私の望んだことなんやから」
そう言い聞かせて目を閉じる。
瞬間、一筋の涙が頬を伝って零れ落ちた。
「きっと今頃、綾乃ちゃん、歳納さんと仲ようやっとるんやろうなぁ」
望む事はたった一つだけ。
――綾乃ちゃんが幸せでありますように――。
綾乃ちゃんが幸せなら、うちも幸せやから。
「そうや…こんな時こそ妄想や!」
そっと眼鏡を外した。
自分の気持ちを『妄想』という形で偽り、二度と想いが溢れ出さないよう強引に蓋をするために。
自分を守るための方法――。
唯一の逃げ道――。
見たくないものを見ないために外してきた眼鏡は、いつしか偽りの自分を作り出すための手段。
綾乃ちゃんと歳納さんで妄想するのが好き――そう、思い込ませるための。
妄想の中の二人が仲睦まじく笑い合っていた。
「うふふ…二人とも幸せそうやな~」
ポタッポタポタッと、床に滴り落ちる液体はきっと鼻血。
そう、思いたかった。
END
【あとがき】
千歳の片思い。報われない恋のお話でした。
千歳が眼鏡を外す理由。それは本当の自分を偽るための手段。
…という俺的脳内設定に基づいた作品です。
実際、千歳は綾乃の事が好きなんでしょうね。好きだからこそ綾乃の幸せを誰よりも考えているっていうか、なんていうか。まぁ、京綾を妄想するのも同じくらい大好きなんでしょうけどw
一歩引いた感じの立ち位置で見守る千歳が好きです。カップリングで言えばダントツでさくひまですが、一番好きなキャラはと聞かれたら迷わず千歳です。千歳みたいなキャラは百合作品の良心ですよね~。
公式サイトの相関図でも千歳⇒綾乃が???になってて、百合的妄想を掻き立てます。同じように京子⇔結衣、櫻子⇔向日葵も???で、奥深いです。
百合は無限の可能性を秘めています。だからこそ美しく感じます。
あやの×ちとせ。略してあやちです。え、あやち? ドユコト?
ゆるゆりは沢山のCPがあって
奥が深いですよね。
ふと思ったんですが…
あかりってCPありましたっけ?(汗)