※追記からどうぞ。
気付くと見慣れた天井が広がっていた。
それが自室のものだと気付くまでにそう時間は掛からない。
意識の覚醒と共に思考も徐々にめぐり始める。
「…眠って、いたんですのね…」
何気なく目に入った壁時計の針は丁度午後3時を回ったところ。
少し休む、と言う名目でベッドに寝転んだのが確か1時頃…、
つまりかれこれ2時間ほど眠っていたことになる。
「ん?」
体を起こそうとしたその時、ふと体の右側面から肩に掛けて、確かな重量感を感じた。
一瞬金縛りにでもあったのかと不気味に思い身震いしたが、とにかく確かめてみないことには分からないと、その正体を探るべく顔だけ動かして見たのだが、その正体は――、
「え…さっ――」
咄嗟にその名がでかかったのは、やはり付き合いの長さなのだろうか。
最初に目にしたのは色素の薄い金色に近い茶髪、そして思わず魅入ってしまいそうなほど安らかな、天使のような寝顔だった。
鼻腔をかすめる花のような甘い香りに思わず顔が熱くなる。
それと同時に心臓がトクントクンと優しい鼓動を刻み始めた。
「…さ、櫻子…?」
「…くー…くー…」
重量感の正体は、私の幼馴染で腐れ縁の大室櫻子だった。
瞬間的には気付いていたはずなのに、それを認識するまでに少しばかり時間を要した。
確認するようにそっと名前を呼んでみたが返事はない。勿論ただの屍でもない。眠っているだけだ。
安らかな眠りが奏でる静かな寝息だけが私の耳に届いていた。
「…気持ち良さそうに眠ってますわね…」
ところでどうして櫻子が私の隣で眠っているのか、としばし思案して、
(……そう言えば、私達一緒に宿題していたんでしたわね……)
大方、休憩中にそのまま寝てしまった私に釣られてしまったのだろう。
だからといって何も私のベッドに添い寝する形で寝なくてもいいのに。
私は櫻子の寝顔を見つめながら、数時間前の記憶を辿る。
それは遡ること3時間ほど前。
櫻子が家に来たのは正午を少し回ったあたりで、理由は単純にお昼ご飯を集りにきただけという、なんとも図々しい用件。そのあまりの図々しさに怒りを覚え、ありったけの力を込めて顔面に右ストレートをお見舞いしてやりたい気持ちになったが、そこはまぁ何とか堪えたのを覚えてる。
複雑な心境を抑えつつも、まぁ櫻子のそれは今に始まったことじゃないと、しぶしぶお昼ご飯をご馳走してあげたのだ。
お昼を食べ終わった後はそのまま宿題タイム。
どうせ櫻子の事ですし、やっていないと思ったから。櫻子は嫌がりましたけど、一緒にやった方が後で「宿題教えてー!」なんて言ってこないでしょうしね。
そういえば、あの時こんな会話をしたような…、
『まったく…お昼くらいたまには自分で作ったらどうですの?』
『えーやだよ。私が作っても美味しくないもん。それに向日葵の作ったごはんすっごい美味しいし!』
『っ…』
『あっ、そうだ、いい事思いついた! 向日葵はこれから私専属のシェフね! けってー! というわけで私のために一生尽くすがよい!』
『い、一生ですって?!』
『うむ、よきにはからえ』
『い…意味が分かりませんわ! じょっ…冗談も休み休みいいなさい!』
『あれ…どうしたの向日葵? なんで顔真っ赤にしてんの? もしかして風邪?』
『う…うるさいですわ!!』
朴念仁、いや、鈍感王め…。
ああいうことをさらっと言うからこのおバカは手に負えないんですわ。
で…でもまぁ、これからもたまになら食事をご馳走してあげないこともないですわね。
そ、そう、たまになら…ね。
一ヶ月に一回位かしら?
い、いや一週間に一回位にまけといてあげますわ。
ふふ、寛大な私に感謝なさい櫻子。
(…今度は何を作ろうかしら…?)
この子、放っておいたらろくな食事をしなさそうですし、食事のバランスも考えなくてはいけませんわね。
それに何だかんだで食事は毎日取るものですし、飽きさせないように献立のバリエーションも増やしていって…、
(って! 何で私が櫻子のためにこんなにも頭を悩ませなければいけませんの?! ていうかいつの間にか毎日作ることが決定してますわ!! どういうことですの!!)
どうやら櫻子が絶えず引っ付いているせいか、思考がおかしなベクトルに突き進んでいるようだ。
このまま櫻子ルートに突入したら、果ては結婚して子供まで出来てますわ!!
それなんてギャルゲですの!?
(くっ、櫻子め…私をここまで追い詰めるとは、さすが生涯屈指のライバル…!)
「くぅ…すぅ…んにゃ…」
櫻子は相変わらず天使を思わせるような安らかな寝顔で可愛らしい寝息を立てていた。
まるで猫みたいですわね、と私は心の中で思った。
その様子はまさに、ご主人様に寄り添う猫そのもの。
「…ど、どうしましょう…これ、ヤバイですわ…」
そんな櫻子の事をちょっと可愛いとか思った私は末期なのかもしれない。
後で病院にでも行こうかしら。いや、むしろ病院がこい、ですわ。
「すかー…んんっ…ふにゃぁ…」
櫻子のほにゃっとした油断顔にキュンっと胸がときめく。
「うぅ…か、かわい――っ」
可愛い――櫻子に対してそんな血迷ったセリフを言いかけたところで何とか飲み込んだ。
櫻子の事を可愛いなんて言った日には、今すぐにでも首を吊らなければいけませんもの。
にしても、どんな憎たらしい生意気な子でも、寝ているときは天使というのもあながち間違いじゃないかもしれませんわね
私をここまで追い詰めるんですから、相当なものですわ。
「んん~♪」
「ちょっ…!」
今度は肩にスリスリと擦り寄りながら猫撫で声をあげる櫻子。無論待ったなしである。
当然そんな事をされたら、私も心臓のギアをローからセカンドへとチェンジするしかない。
トクントクンという優しいものから、今ではすっかりドキドキと激しさを増していた。
そしてそんな私に追い討ちを掛けるが如く櫻子は、
「…ん~…ひま、わりぃ~…♪」
「ぁんっ…!」
甘い吐息漏れるその口から、一騎当千の殺人ボイスを囁きましたの。
ぶるりと背筋が震え、思わず内股を擦り合わせてしまった。は、恥ずかしい…!
夢の中で私の名前でも呼んでいるのかどうか定かではないが、そんなことは正直どうでもいい。
問題は、櫻子が甘ったるい艶のある声で私の名を呼んだことにあるのだから。
認めたくはないが、耳が、確かな幸せを感じていた…。
認めたくはないが。大事なことだから2回言いましたわ。
とにかく。
今この瞬間、間違いなく私の心は一度死んだ。
ていうか反則ですわよこんなの。櫻子の癖に!!
「…い、いい加減目を覚ましなさいな…! このおバカ…!」
最後の抵抗にと、キッとした視線を眠った櫻子に送ってみたのだが、
「…ひまわり…す…」
「え?」
「…すき…」
「~~ッ?!?!」
まさかの思わぬ反撃。止めと言えば止めの一言だった。
心構えなど全くしていなかった。そのたった一言で、私は死よりも過酷な生き地獄を身をもって味わうことになる。羞恥の極みで顔はリンゴからマグマへと変質し、茹でられたタコも真っ青になりそうな灼熱地獄が身を焦がす。
今この瞬間、私の頭に卵を落としたら一瞬で目玉焼きの完成だ、ってそんな事よりも今思案すべきは…、
(…い、今この子…わ、私のこと…好きって…)
ドッドッドッドッ!! と心臓の鼓動が炸裂する。
サードなど生ぬるいトップギア。けたたましく鳴り響くそれを抑える術はもはやありはしない。
櫻子の顔を熱く濡れた瞳で見据え、もしかしたら聞き間違いということもあるんじゃないかと思案し始めたその時、
「…ひま…わり……すき………♪」
「ぁ…」
もはや疑いようもなく、はっきりと、櫻子はその言葉を囁いた。
つまり、櫻子は私の事が好きで、愛の告白を――。
この時櫻子は寝ていたのだし愛の告白とは言い難いけれど、それでも。
――嬉しい――。
その気持ちだけは誤魔化しようがなかった。
「す、き……」
「――」
三度呟かれたその言葉を前に、思わず唇の動きを目で追ってしまっていた。
カッと目を見開きながら、呼吸をすることすら忘れて。視線は唇に一点集中。
そしてそれっきりその唇から目が離せなくなってしまった。
瞬きすら出来ずに魅入る。心臓はもはや形容し難いほどの爆音を響かせていた。
「…ごくりっ…!」
思わず生唾を飲み込む。
瑞々しくて。
綺麗なピンク色で。
おまけに柔らかそう。
純粋無垢を絵にかいたような。
それでいて穢れを知らない。
そんな、櫻子の唇。
私は――。
「さ、櫻子…わ、私も…」
自然と突き動かされる私の体。それはきっと理性とは逆の、本能と呼ばれるもの。
もはや我慢は利かない。目と鼻の先にあるその唇へと、そっと自分の唇を近づけていく。
「私も…櫻子のことが…」
心の引出しに仕舞い込んだ想いが溢れ出し胸を熱くさせる。
この想いに免じて、今日だけは素直になってあげますわ。そう言い聞かせて突き進む。
櫻子、私は貴女の事が――、
「す――」
「ひま……す…き……た…」
「――え?」
唇が触れ合う寸前で耳に聞こえた櫻子の声に思わずピタリと停止する。
途切れ途切れで何を言ってるのか分からないが、人間不意を突かれると否が応にも反射神経が働いてしまうもので。
とにもかくにも、私の一世一代の告白も口付けも、あっけなく未遂に終わってしまった。
「なんなんですのよ、もう…。あと少しでしたのに…」
未だにブツブツと寝言を漏らしている櫻子。ちょっと気になったので耳を澄ませてみた。
しかしそれが運の尽きだと知るのは、数分後の自分。今の私にそれを知る術はなかった。
そう、世の中知らなくていい事は確かに存在するもので、
「ひまわりぃ~…すきやき食べた~い…食わせろー…ぐぅ…」
――は?
「ヒマワリスキヤキタベタイ? 復活の呪文か何かですの? ヒマワリ…スキ…ヤキ…タベタイ? スキ…ヤキ…? ヒマワリ…スキ…。スキ…。好き?」
そこまで考えてようやく、私はこの一連の茶番の真実を悟るに至る。
「ちょ…ま、まさか…そんな…う、嘘ですわよね…?」
信じたくはない。
けれど、ただ一人それを否定してくれる存在は未だ夢の中。
もはや疑いようもない。私は今の今までとんだ勘違いを――。
「くかー…うへへ…♪ うまー…」
「…………」
櫻子の寝顔はどこまでも幸せそう。涎まで垂らして、挙句ぽりぽりとお腹を掻いて。
きっと夢の中で私の作ったすき焼きを思う存分食しているのだろう。
いいですわね、すき焼き。貴女お肉大好きですものね。
でもごめんなさい櫻子。
あなたにすき焼きをご馳走できるのは当分先の事になりそうですわ。
「さぁ、旅に出ましょう」
結末は明快。人はそれを現実逃避と言う。
おしまい。
【あとがき】
4作目になるさくひまSSでした。楽しんで頂ければ嬉しいです!
内容としては、天然発言の多い櫻子に眠っていても振り回される向日葵の図。
向日葵には強く生きて欲しいですね。そんでとりあえず二人には早く結婚して欲しいものですw
そうだ、ここに式場を立てよう。