※追記からどうぞ。
とある日の休日。
午後の陽気に誘われ心地いい眠気に瞼が船を漕ぎ始めたのは、読みかけの小説に目を通し始めて30分ほど経った頃だった。
(…眠い、ですわ…)
頭がコクリ、またコクリと上下に揺れ動く。
ふいに飛びかけた意識を寸での所で持ち直し、頭を振って眠気を飛ばした。
いい加減疲れてきたのかもしれない。
と、そんな状況下でこれ以上活字を相手にしていても内容が頭に入らないだろうと判断した私は、いったん小説本を机に置き、大きく伸びをする。
硬直した筋肉が引き伸ばされると同時に関節がコキっと軽快な音を鳴らして、まるで空を飛んでいるみたいな心地いい浮遊感を味わいながら、迫り来るあくびを噛み締めていた。
「向日葵お姉ちゃん、質問があるの」
そんな時だった。
私の眠気を一瞬で吹き飛ばすような、純真に無垢を足したような愛らしい声が鼓膜を突いたのは――。
「楓?」
「うん」
見れば、テーブルに積み上げられた数冊の絵本をぺらぺらと読み耽っていた妹の楓が、無垢な顔で私に純粋な瞳を向けていた。
「どうしたんですの? もしかして絵本で何か気になることでもあったのかしら?」
姉らしく優しく対応したところまでは良かったのだが、瞬間的に『失敗』の二文字が浮かぶ。
なぜなら楓は確かに絵本を読んでいたが、その口から呟かれていたのは絵本の内容とはまったく関係のない、『世界の歪み』やら『社会に巣くう闇』などなど、一介の小学生とは無縁と言わざるをえない不穏当な単語ばかり。
(…いったいどこで育て方を間違えたのかしら…)
間違っているかどうかは別として実際に育てたのは自分ではなく母親だ。それでも姉として妹の将来が気にならないと言えば嘘だった。たった一人の妹ですもの、心配するのは当然のことでしょう。
(…とりあえず、楓の質問とやらを聞かないうちはなんとも言えませんわね…)
「どうして戦争はなくならないの?」なんて質問を投げかけられないことを祈るばかりである。私だって一介の中学生、世の中のことはまだまだ勉強中の身。答えられる自信はないし、そもそも答えられるはずがなかった。
ここは小学生らしい可愛らしい質問が飛んでくることを祈ろう。
お願い楓、空気を呼んで…!!
「えーとね」
「…ゴクッ」
タラリと嫌な汗が頬を伝う。
緊張感につつまれながら生唾を飲み込み、楓の質問とやらに耳を澄ます。
楓は読みかけの絵本をパタンと閉じて、改めて私に目を向けると、
「向日葵お姉ちゃんって、櫻子お姉ちゃんのこと、好きなの?嫌いなの?」
「は……はぁ!? あ、あなた何を言って…! い、意味が分かりませんわ?!」
一瞬思考が停止するほどの予想外。まさに唐突。これはこれで嫌な予感的中だ。
何の脈略もない質問の内容に驚愕し、反射的に声を荒げて言い返すが、しかし楓はまったく意に介した様子もなくただ淡々と、
「意味が分からないの? 好きか、嫌いか、聞いてるんだよ?」
くりっとした大きな瞳で、悪意のない眼差しで私を見つめる楓にゾクッと背筋が凍り、思わず「ぅっ…」と息を詰まらせ仰け反った。
そんなキラキラとした目を向けられては何も言い返せない。悪意がないのが逆に始末に終えない。これならまだ下心満載で聞かれたほうがマシだった。
「し、質問の内容は理解しましたわ。で、でもどうして楓がそんな事を聞きたがるんですの?」
「だって向日葵お姉ちゃん、櫻子お姉ちゃんとケンカばかりだし、嫌いなのかなって、気になったの」
我が妹ながら、先の読めない言動にいつも冷や冷やされるが、今回のそれは群を抜いていた。
さて何て答えたものか――と、考える素振りを見せつつ頭を悩ませてみたが、
「べ、別に…嫌い、というわけではありませんわ」
無難と言えば無難だが、そんなありきたりなセリフしか思い浮かばない。
しかしこれ以上ない返答だと私は思った。
確かに私と櫻子は幼少の頃から顔を合わせれば喧嘩をする、言わば犬猿の仲として育ったし、私も櫻子の前では大人気なく声を張り上げて悪態ついてしまうけれど、それでも別に嫌いというわけではないのだから。
あとは楓さえ納得してくれればそれでいい、そんな風に楽観的に考えた。
そして私の願いはほどなくして叶う。楓の表情に変化はなかったが、それでも私の答えに納得したようにコクンと頷いてくれた。
「そっか、そうだよね。お姉ちゃん達いつも一緒にいるもんね」
その納得の仕方はいかんともし難いものがあったけれど。
「べ、別に四六時中一緒にいるわけではわりませんわ。ごく稀に、ですわよ」
「そうなの? 一緒にいるところしか見たことないよ?」
「ぅ…」
私の複雑な心境とは裏腹に、何の躊躇もなくさらっと痛いところを突いてくる楓に言葉を返すことが出来ずに軽く呻いた。
そして生まれて初めてこの子の純粋さを恐ろしいと思った。
もちろん本人には内緒だが。
(…まぁいいですわ、なんとか凌げましたし…)
しかしこのときの私はまだ気付いていなかった。
楓のそれがまだ終わりを見せていないことに。そしてそれに気付かなかった時点で、これから私を襲う残酷な運命から逃れる術はなかったのかもしれない。
私はホッと胸を撫で下ろし軽く溜息をついたのだが、しかし次の瞬間、
「で?」
なぜか楓は、可愛らしく首を傾げながら私を見た。
まだ話は終わってはいないと言わんばかりに。一直線に私の瞳を射抜く。
先ほどの質問自体もうすでに終わったものだと思い込んでいた私は、楓が何を求めているのか理解できず、当然のように疑問符を浮かべる。
「な、なんなんですの?」
「結局、向日葵お姉ちゃんは櫻子お姉ちゃんのこと、好きなの? 嫌いなの?」
「は、はぁ? だ、だからそれはさっき答えたじゃありませんか」
「ううん、違うの。さっきお姉ちゃんは『嫌いじゃない』って答えただけで、『好き』か『嫌い』かには答えてくれてないの。私が聞きたいのはその二択だけだよ」
「なっ…そ、そんなのっ…へ、屁理屈ですわ!」
『嫌いじゃない』と言えば大抵の人間はその先にある気持ちを察するものだ。
しかし相手は我が妹。この子がそれを理解しているのかどうかは分からないし、その表情から楓の心情を読み取ることも出来なかった。
ただその瞳に宿るのは純粋な好奇心と、自分の意思を曲げない強い思い。
「事実だよお姉ちゃん。私は最初から『好き』か『嫌い』かしか聞いてないの。『嫌いじゃない』って事は『好きでもない』ってことかもしれないもん。ごめんねお姉ちゃん、私がもっとちゃんと説明しておけばよかったね。ほんと日本語って難しいの」
「……」
古谷楓。私、古谷向日葵のたった一人の可愛い妹、のはず。
私は、この子の事を少々舐めていたのかもしれない。
「ねぇお姉ちゃん、曖昧な答えは誤解しか生まないんだよ? ううん、たとえ誤解を生まなくても、いつかどこかで歯車が噛み合わなくなるの」
「………」
どこでそんな小難しいセリフを覚えたのかと突っ込みをいれたい私を他所に、楓の話はただ淡々と続いていく。まるで私に発言の機会を与えないようにしているかのように――。
「お姉ちゃんのなりたい副会長さんは、そんな曖昧な言葉で塗り固められた生き方が許されるような役職なの? そんなものがお姉ちゃんの目指す副会長さんなの?……そんなの絶対おかしいよ……」
「っ!!」
シュン…と、楓は落ち込んで見せた。
「私の知ってるお姉ちゃんは、いつだって堂々と胸を張って前を見て歩いてるよ…?」
ふいに楓の頬にキラリと雫が伝った。それが涙なのだと気付くまでのそう時間は掛からない。
うるうると潤んだ瞳、目尻には涙を浮かばせ、必死に私に訴えかける楓に私の胸は打たれた。
楓を泣かせてしまったことへの罪悪感と、何も答えられない自分自身への不甲斐なさで胸が締め付けられる。
「わ、分かりましたわ…こ、答えますわよ。答えればいいんでしょう」
「お姉ちゃん…っ!」
楓の表情に笑顔が戻る。泣いていたのが嘘のようにパァ―っと。
太陽のように輝く笑顔はとても愛らしかった。
私はわざとらしく咳払いをしつつ楓から視線を外した。
「ま、まぁその…好きか嫌いかで言ったらその…す、好き…かもしれませんわね」
「かも?」
楓はまたも首を傾げた。
「ぅ…だからっ…す、すき…ですわ」
「ねぇ向日葵お姉ちゃん。もごもごしてて何言ってるか聞こえないよ? 今、ススキって聞こえたの。ススキの話なんてしてないよ?」
「わ、私だって…ススキの話なんてしていませんわ…っ!」
「お姉ちゃん。はっきり大きな声で言わないと聞こえないよ?」
「そ、そんな…っ」
「私の知ってるお姉ちゃんは――」
「わ、分かりましたわ!! 分かりましたからそんな悲しそうな顔しないでくださいな!!」
もう覚悟を決めて言うしかなかった。
生半可な気持ちでは楓に伝わらないということは今までのやり取りで百も承知。
こうなれば私の全力全開、心からの叫びを聞かせてやりますわ!!
そう意気込んで、意を決した私は、
「いいですわ楓!! 耳の穴かっぽじってよく聞きなさい!!」
「うん!」
「私は――!!」
ガラッ!
「おーす向日葵! 櫻子様があそびにきてやったぞー。私とあそべー!」
「私は櫻子の事が好きッ!! 好きで好きで堪らないんですのッッ!!!」
「え?」
言った!! 言い切りましたわ!!! 心に秘めたる思いの丈、その全てを。
私自身驚くほど素直に、自分の全てを解き放つことができました!!!
これなら楓も納得してくれると――、
「え、え~と…ひ、ひまわり?」
喜びに打ちひしがれていたのも束の間、私の声でも楓の声でもない第三者の声が鼓膜を突いたのを確かに聞き逃さなかった。
サーッと血の気が引いていく音がした。嫌な予感どころの騒ぎじゃない。
咄嗟に顔をあげると、楓を挟んだ正面、襖の向こう側に、赤い顔で口の端をピクピクと痙攣させながら棒立ちの櫻子の姿が網膜に焼きついた。
「「…………」」
時が停止した。絶対零度の氷付けだ。もはや地獄の業火でも溶かせそうもない。
しかしただ一人、停止した時の中で動けた者がいた。
――古谷楓、私の妹だ。
楓はとたとたと可愛らしい擬音を発しながら櫻子の横に歩み寄ると、櫻子の服の裾をクイクイと引っ張って、
「櫻子お姉ちゃんいらっしゃい。あ、もしかして今の聞いてたの? 良かったね、向日葵お姉ちゃん、櫻子お姉ちゃんのこと好きで好きで堪らないんだって」
その日、全私が泣いた。
おしまい
【あとがき】
昨日の今日で執筆頑張りすぎの私ですが、書けるときに書いとかないといつ書けなくなるかわからないのでうp。
さて、今回は櫻子があまり登場してませんが誰が何と言おうとさくひまssです!ふんすっ
アニメ版の楓は原作の楓をさらに強力にした感じで、最高にいい味だしてますねw
櫻子も向日葵も、あの楓には敵わないと思うんです。楓最強!!