※追記からどうぞ!
愛しいあの子がいない夜
それはちょっと寂しくて
物足りなさを感じる夜だった
天使のように可愛らしい笑顔も
触れた指先から伝わる優しい体温も
いつも当たり前のように感じられていたはずのものが今はない
君が与えてくれるものすべてが今は手の届かない空の下
早く君に会いたい
君の声が聞きたい
あずにゃん――。
*
時刻は0時ちょっと前。誰もが寝静まるそんな頃。
修学旅行ということを考えればとっくに消灯時間だった。
「…そろそろ電気消すぞ?」
澪ちゃんは溜息交じりにそう言うと、その重たい腰を上げた。
その声には全く元気が感じられず、どこか疲れ切った様子だった。
まぁそれも仕方のないことだと思う。初日から観光に遊びにと全力全開で動き回ったのだから。
それは私も同じだし、たぶん他のみんなも同じだと思う。
今になって旅行疲れが津波のように押し寄せてきている。
気を抜いた瞬間に夢の中へと誘われてしまいそう。
「……」
澪ちゃんは全員が布団に潜り込むのを一瞥してから無言で電灯の線を引っ張った。
カチっカチっと音がする度に灯りも徐々に光を失い消えていく。
明るかったはずの部屋が一気に闇に近付いた。
が、まだ完全とは言えなくて。
「あ、豆球も」
残った灯りも消してくれと催促する。
私は真っ暗じゃないと寝れない人間なのでみんなには申し訳ないけど。
「やれやれ…」
澪ちゃんは言われるまま最後の豆球も消してくれた。
今度こそ部屋が真っ暗になって何も見えなくなる。
一仕事終えた澪ちゃんに「ありがと」とお礼を言うと、「うん」と小さな声で返事が返ってくる。
そして自分の寝床に戻った澪ちゃんは皆の迷惑にならないようにあまり物音を立てずに横になり布団を被った。
「…はぁ…んん~」
私は静まり返る部屋の中で溜息をつき、それから筋肉や関節を伸ばすために身体全体で伸びをする。
緊張と疲労感で硬直していた体を解きほぐすようにゆっくりと。
ほどよい眠気と疲労感が混じり合って、まるで空を飛んでいるみたい。
どこかふわふわと心地がよくて、悪くない気分だった。
(…ぁ…目覚ましセットしておこっと…)
パチンっという携帯を開く音がいやにはっきりと静寂に響き渡る。
真っ暗な部屋の中に携帯のライトがとっても眩しくて、私は思わず目を細めた。
突然の光に驚いた私の瞳孔は急速に閉じていく。
始めはぼんやりとしていた画面が多少だがぼんやりと見えてきた。
とりあえず文字が読めるくらいには。
(…えーと、目覚まし………うん、大丈夫)
ぼんやり眼で携帯を操作して、なんとか明日の起床時間にセット。たまに1時間早くとか1時間遅くにセットして失敗してしまうことがあるのでもう一度確認して合っているか確認した。とりあえず問題はなかったようでホッと一安心。
(…寝坊したら大変だもんね…)
ふぅっと一息ついて、電源ボタンを押して待ち受け画面に戻す。
パッと、瞬時に切り替わった待ち受けを見て、私は思わずクスっと笑ってしまった。
待ち受け画面はあずにゃんとのツーショットだった。
今は傍にいない大切な恋人――中野梓ちゃん。
待ち受けが恋人とのツーショットだなんて珍しくもなんともないけど、まぁ恋人同士なんだし基本って言えば基本だよね。
(可愛いなぁ♪)
画面の向こう側にいるあずにゃん。私に抱きしめられて、はにかんだような笑顔で頬を朱に染めている。それはまさに天使の笑顔と言っても過言ではなくて、見ているだけでほわほわと温かい気持ちになってくる。こんな天使が私の彼女なのだから人生何が起こるか分からないものだ。
とりあえず画面のあずにゃんを眺めるのもほどほどにして。
ついでに時間も確認する。
(あとちょっと…だね)
画面に映し出された時刻は0時ちょっと前、あと20分もすれば日付が変わる頃合。
“約束”の時間まではまだ少し時間はあるとは言え、すでに消灯時間は大幅に過ぎている。
夜更かしもほどほどにしておかないと明日がつらい。それに…、
(あんまり大騒ぎするとまたさわちゃんに怒られちゃうからね…)
実際に一度さわちゃんに怒られているから尚更だった。
でも修学旅行と言えば夜更かし、夜更かしと言えば修学旅行と言っても過言ではないし。
暗黙の了解って言うか、醍醐味って言うか、とにかく中々やめられないんだよね。
そんな風に自分の行いを正当化しつつ、そのまま“約束”の時間である0時まで待っていようとしたその時。
真っ暗な部屋の中に、一際明るい声が響いた。
「はぁ~…枕投げ楽しかったわぁ。またやりたいわね~」
おっとりポワポワした声。
そんな声が出せるのは軽音部の中には一人しかいない。ムギちゃんだ。
寝る寸前まで白熱していた枕投げの事を思い出しているようで、どこか声が上擦っていて、鼻息も荒くなっている。
興奮冷め止まぬといった感じ。
そんなに興奮してたら寝られなくなっちゃうんじゃないかな?
でも実際に枕投げを経験した私にはムギちゃんの気持ちが痛いほどよくわかった。
「そうだねー。結構いい運動になったし。あ、明日もやろっか? みんなで!」
「いいわね!」
暗がりで言葉を交わし合い、意気投合する私とムギちゃん。
ここだけの話、夜更かしの原因はその枕投げのせいで。いや、“せい”というより“おかげ”と言うべきか。
実際こちらも楽しんでいるのだから“おかげ”という方が正しいだろう。
「お友達と枕投げするの夢だったのぉ~♪」と言うムギちゃんの一言から始まった修学旅行のお約束的行事――枕投げ。みんな童心に返って、我を忘れてしまうほどはしゃいでしまったのはつい30分ほど前の話だ。
すっごく楽しかったし、こんな楽しいことなら明日もやりたいなって。
「…もう勘弁してくれ…お願いだから…」
「………」
でも予想に反して、澪ちゃんとりっちゃんはあまり乗り気じゃないらしい。
りっちゃんなんて布団を頭から被りながら念仏のように「ミオコワイ」と何度も何度も唱えていた。
まぁ、あんな目に合えばその気持ちも分からなくもなかった。
「ぶー!りっちゃんはともかく澪ちゃんは一番楽しんでたくせにー!」
「べ、別に楽しんでなんか…! お前らが私ばっかり狙うから、つい…!」
「……あれは“つい”ってレベルじゃなかったぞ…みお…」
りっちゃんの震える声が闇夜に消えた。
自分でも思い当たる節があることを自覚しているのだろうか、澪ちゃんは「うぐっ…」と言葉を詰まらせる。
確かに最初こそやる気のなさそうな顔をしていた澪ちゃんだったけど、りっちゃんの集中攻撃を受け続けているうちに箍が外れた。ありていに言えばぷっつんしちゃったって言うのかな。きっと色々溜まってたんだね…。
(あのあと澪ちゃんすごかったもん…)
日頃の鬱憤は嵐の如く発散させられていく。
魂の咆哮とともに。私達めがけて。ぷっつんした澪ちゃんはまさに一騎当千の武将だった。その姿、まさに鬼神のごとく。
一見暴走しているようにも見えるその姿は、しかし意外にも冷静に、そして機敏に動き回ってて。
持ち前の運動神経を駆使しながら私達を翻弄していった。
おまけに枕は確実に顔面にヒット。怨念の篭った枕が弾丸のように飛び荒ぶ。百発百中の命中精度だった。
まぁ枕は柔らかい素材だったのでそこまで痛くはなかったんだけど。なんにしても、阿修羅にでもなったんじゃないかと錯覚するような形相で枕を投げる澪ちゃんはとっても恐かった。
『あはははっ♪ ふふっ♪ はははっ♪』
今でも耳に残る澪ちゃんの楽しそうな笑い声。冷静さと冷徹さをその瞳に宿しながら口元は笑みさえ浮かべて。
勢い任せに枕を投げ返すその姿は思い返しただけでもゾッとする。
(いつのまにか、澪ちゃんvs私達になってたもんね)
しかもこのまま成す術なく澪ちゃんの優勢で終わるかとさえ思われた。
思われたのだが、それでも私たちムギちゃん連合は負けるまいと必死になって食らいついていく。
ここで負けてはムギちゃん連合の名折れってことで最後の賭けとしてある一つの作戦を立てた。
作戦はこうだ。
『りっちゃんを囮にしてその隙に澪ちゃんを』
と言った単純なもの。
一歩間違えばこちらが痛い目を見る捨て身の作戦だった。主にりっちゃんだけが。
もちろんりっちゃんは当然のように反論してたけど、私とムギちゃんは耳と目を塞いで聞こえないフリをしてた。
この役は澪ちゃんの幼馴染であるりっちゃんにしか出来ない任務だった。
そして作戦はあれよあれよのうちに実行に移されて。
結果から言うとこの単純な捨て身作戦は抜群の効果を発揮することになる。
やはりりっちゃんを囮にしたのが効果的だったのだろうか、澪ちゃんの攻撃に容赦はなかった。
怒涛の嵐のように枕の集中砲火がりっちゃんの顔面めがけて浴びせられていく。
5発――!
りっちゃん涙目。
10発――!!
りっちゃん涙目。
いったいどこにこんなに沢山の枕があったのかという疑問はさて置いて。
とにかくりっちゃん涙目。
でも気にしちゃいられないのが残る私とムギちゃん。
りっちゃんの犠牲を無にしないためにも、私達は意を決して駆け出した。
駆け出して、左右に回りこんで、りっちゃんに気を取られている澪ちゃんの顔面に渾身の二撃をお見舞いしてやった。さすがの澪ちゃんも私達の会心の一撃を受けてはひとたまりもなかったらしく、そのまま事切れた人形のように布団へと倒れこんだのだ。
つまりそれがこのマクラ大戦における終戦。
ムギちゃん連合vs澪ちゃんのマクラ対戦は、辛くも私達ムギちゃん連合の勝利に終わった。もちろん紙一重の戦いだったのは言うまでもない。私達も無傷とは言いがたく、みんなボロボロだった。
私とムギちゃんは……とにかくボロボロで。りっちゃんは勇気だけが友達のアンパン的なヒーローのようにホッペが真っ赤になってて。澪ちゃんは相変わらず布団に突っ伏したままで。とにかく色々とボロボロだった。
それでも最高のストレス解消にはなったのだろう。
復活したあとの澪ちゃんのすっきりした顔はとても印象的だった。
結局何が言いたいかと言うと、あの真面目な澪ちゃんでさえ我を忘れさせてしまう枕投げ。
その魔力は計り知れないってこと。
ビバ枕投げ!
ビバ修学旅行!
なんにしても最高の思い出になったことだけは確かな事実だ。
*
「…まったく、澪はもうちょっと容赦ってもんを…」
「うっ…わ、わるかったよ…」
「まぁまぁ。楽しかったんだしいいじゃない。ねぇ~唯ちゃん」
「そーそームギちゃんの言う通りだよ!」
「有無を言わさず私を囮にしたお前らにそんな事言う資格はねー!」
その後も4人で枕投げのこととか、今日のあんな事やこんな事などなど。
思い出話に花を咲かせて言葉を交し合っていたのだが、しかし皆疲れきっていたのだろう。数分と立たずに一人、また一人と声が聞こえなくなり、最初の静寂を取り戻していった。皆の安らかな寝息と共に…。
「…すぅ…すぅ…」
「…くかー…むにゃむにゃ…」
「…ん~……ゆい…あず…万歳……すぅ…」
「……」
ここまで来たら私も寝るのが自然な流れだけど、自分にはまだやる事が残っていたから寝るわけにはいかなかった。ここで寝てしまったら“約束”を果たすことが出来なくなってしまう。あの子との“約束”は何よりも優先しなくちゃいけないから。
私はあの子――あずにゃんと一つの約束をした。それは数刻前のメールで決まった約束事。
しかし約束と言ってもそこまで難しいことじゃない。たんに皆が寝静まった頃に内緒で電話しようってことになっただけ。
(…でもちょっとあぶなかったかも…)
実際にはあと1時間は早く就寝するんじゃないかと予想していただけにひやひやものだった。結構夜更かししちゃったから仕方ないとは言え、本当にギリギリになってしまった。でもみんな寝ちゃったし結果オーライということにしておく。
(…おっ…そろそろ時間だね…)
時刻は午後11時58分を回る。約束の時間は0時だった。
しかし0時と言うのはあくまで目安として決めただけなのできっかりに電話する必要もない。それならば10分前でもいいんじゃないかと思うかもしれないが、こういうのは気持ちの問題なのだ。
それから11時59分を回り、そろそろしてもいいかなって思って、皆を起こさないようにして静かに布団の中に潜り込む。
(よいしょっ)
亀の甲羅のように盛り上がった布団がもぞもぞと動き回る。ごそごそと言う音でみんなが起きてしまわないか心配だったが危惧したことにはならなかった。たぶん、本当に疲れ切っているのだろう。これなら多少うるさくしても大丈夫だと思ったが、それでもやはり皆の迷惑にはなりたくなかった。
パチンっと開く携帯電話。真っ暗な布団の中で発行する待ち受けのライト。
ぼんやりと映る画面を見つめ、目を細めながら操作していった。
(…あんまり大きな声は出せないから…静かに~静かに~…)
アドレス帳からあずにゃんを呼び出し電話を掛けた。
プルルっと鳴り始める呼び出し音を聞きながらゴクリっと唾を飲み込む。
なんだか変に緊張している私がいる。今更緊張する仲でもないはずなのに。
プルルルル…プルルルル…プルルルル…プルッ
そして待つこと数秒。
3コールの後、相手が電話に出る。
『…もしもし…?』
それは。
何よりも大切な愛しい仔猫の声――。
つづく