※追記からどうぞ!
輝ける漆黒――中野梓。
二つ名としてはカッコよさげな響きだが、その実態をしれば誰一人としてカッコいいなどとは思わないだろう。
とある実姉からあずにゃんと称される彼女は、今まで見たこともない輝かしい表情をして、持ち前の漆黒のツインテールをぴょこぴょこ揺らしながら、ふんすっ!ふんすっ!と鼻息を荒くしながら廊下を闊歩していた。
さきほどまで何故か人の顔を見て顔面蒼白で怯えていたというのに、この変わりようはなんだろうか。
と、私は微妙に納得のいかない心境で、半ば早足の梓ちゃんの後姿を見つめながら遅れず後をついて歩く。
右隣で必死の形相で梓ちゃんについていく純ちゃんもまたしかり。
「ちょっ…あ、梓っ…歩くの早いって…!」
そう言って毒づく純ちゃんだったが、梓ちゃんの足は決して止まることは無い。
「頑張って純ちゃん…!」
「ハァハァ…ペース速いよっ…そんな急がなくたって教室は逃げないってのっ…!」
「確かにね…でも今の梓ちゃんには何を言っても無駄だと思うよ。こう言っちゃなんだけど、梓ちゃんってお姉ちゃんバカだから」
「あー…まぁそうかもねぇ…って、梓早いっ!」
「へっ?」
話しながら歩いていればスピードが遅くなるのは至極当然のことで。
見れば、梓ちゃんはすでに50m近く先を歩いていた。瞬間移動したんじゃないかと錯覚してしまう。
私と純ちゃんは顔を見合わせ、目と目で会話。コクンと頷き合い、駆け足で梓ちゃんとの距離を詰めていく。
「はぁ…はぁ…う、憂は平気なの…?」
「えと、まぁ…まだ大丈夫だよ」
「いいなぁ体力あって…うぅ…ベースばっかり弾いてるから運動不足なのかな私…」
「だ、大丈夫だよ!純ちゃんの変わりに私が運動して体力作りするから!」
「あの…それだと憂ばっかり体力がついて私の体力不足は変わらずなんですけど…」
「え、えと…私のステータスを純ちゃんに振り分けてあげれば…」
「RPGかいっ!」
「あいたっ!」
ビシッと、手首のスナップを利かせた絶妙なツッコミが私に炸裂したところで、私達はまたも梓ちゃんとの距離が離されていることに気付いた。目の前の梓ちゃんが豆粒くらいの大きさなのを見るに、100mくらいは離されていると分かる。
「っていうか梓ちゃん早すぎ!?」
「その前にこの廊下長すぎでしょ!?何メートルあるの!?おかしいから常識的に考えて!」
神の見えざる手でも発動したのだろうかと錯覚するほど長く感じる廊下。
まるで10mが100mに見えてしまうそれに驚きを隠せないが、それでも一応隠しておかなくてはいけない。なんとなく気にしたら負けの気がするから。
「あ…梓止まったよ」
「ホントだ」
純ちゃんの言うとおり、目の前を爆走していた梓ちゃんの足がふいにピタリと止まった。
どうやら3年生の教室へと続く階段の前に差し掛かったようで、梓ちゃんはくるりと振り向くと、私達に向って声を荒げ吼える。
「もぉー!二人とも遅いよー!早くしないと唯先輩の教室なくなっちゃうかもしれないじゃん!」
「「ありえないからぁぁああ!」」
以心伝心。梓ちゃんの物言いに私達二人の心が見事シンクロした。
やっぱり私と純ちゃんって相性いいのかも、なんていってる場合じゃない。
「はぁ…梓の病気は一生治らないかもね…」
「あはは…まぁそれだけ楽しみだってのはわかるんだけどね」
「1回病院で見てもらった方がいいんじゃない?いや、むしろ病院が来い!」
「病名は、ヒラサワユイシンドローム(平沢唯症候群)とか?」
「おおっ、さすが憂!なかなかのネーミングセンスだね。それ決定!」
「あははっ…」
とにもかくにも冗談はさておき。
階段前でウサギみたいにぴょんぴょん飛び跳ねるテンションMAXの梓ちゃんにようやく追いついて。
廊下は走っちゃいけないっていうのは全国どの学校でも共通の決まりごとだけど、そんな決まり事なんて初めから存在していなかったかのように爆走してしまった私達二人。
おかげで息は上がりきっていて、二人して膝に手をつきハァハァと荒い息を付く。
呼吸を整えながら梓ちゃんに目を向けると、息一つ乱さずにやれやれと首を振る梓ちゃんの得意げな表情が写った。あれだけ走ったのにどうしてこうも元気なのだろうかと少し感心するが、やってることはあまり褒められたことではないのは誰の目にも明らかだろう。
「二人とも運動不足なんじゃない?もうちょっと運動した方がいいと思うよ?」
その一言にカチンと来たのか、純ちゃんの眉間がピクピクと震えて。
腕を振り上げたと思ったら、ブンブン振り回しながら講義しはじめた。
「うがー!!梓が早すぎなんだっての!ていうか廊下で運動してどうする!廊下は走っちゃダメだっつーの!」
「そうそう!もっと言ってやって純ちゃん!」
このお姉ちゃんバカには少しきついお灸を据えないと日本の法律ですら無に等しい。
お姉ちゃんが法律である梓ちゃんには世界のルールなど知ったことではないのかもしれない。
そこまで人を想えるのは凄いとは思うけど、やはりこれもあまり褒められたことではない。
「それに運動不足ってことなら梓だって一緒でしょ。運動部じゃないんだし。年がら年中ギターばっか弾いてるし」
「そういえばそうだね。梓ちゃんぜんぜん疲れてないみたい。もしかして普段運動とかしてるの?」
「え?」
別に聞く気はなかったけど、話の流れ的に聞いておかなければいけない気がして、半ば義務的に質問を投げかける。すると梓ちゃんは一瞬考えるような素振りを見せ、突然何かに気付いたように「あっ」と小さな声を上げ、頬を赤らめた。
「いやぁまぁその…してるって言えばしてるし、してないって言えばしてないかなぁ…」
「「???」」
いつもはっきりと物申す梓ちゃんにしては珍しい、歯切れの悪い返事が返ってくる。
その歯切れの悪さに、私達は疑問符を浮かべることしかできなくて。
「え、えーとね…」
梓ちゃんは頬を朱に染めたままポリポリと頬を掻き、言いにくそうに口を開けたり閉じたりを繰り返す。
そうして悩んだ末に告げられた言葉は私達の予想を遥かに超えていて、やっぱり質問なんてするんじゃなかったなと今更ながらに後悔するのだった。
「う、運動って言えるどうかわかんないけど、ぷ、プロレスごっこなら毎晩でもしてるよ…た、たぶんこの先2、3日くらいはお休みしなきゃいけないかもだけど」
そう言って、衝撃の告白だったとでも言わんばかりに顔を茹蛸のように真っ赤に染め上げた梓ちゃん。
ついには恥ずかしさに限界が来てしまったのか、クルリと背中を向け、モジモジしちゃってる。
耳まで真っ赤に染まっているところを見ると、梓ちゃんにとって相当言いづらいことだったらしい。
「プロレス…」
「ごっこ…?」
しかし私達としては、何がそんなに恥ずかしかったのか、言われたその時には理解できていなかった。
私と純ちゃんは腕を組み、首を傾けながらうーんと、梓ちゃんの言葉の意味を考えてみるが、その言葉の意味を理解するまでに1分という長い時間を要した。
そして――。
「「っ!?」」
まったく同時に反応を示した人が二人。当然それは私と純ちゃんで。
以心伝心なのは喜ばしいことだが、今回ばかりはそれを呪いたい気持ちである。
つまり梓ちゃんが言ったプロレスごっことは、簡潔に述べればこういう事だ。
毎夜毎夜、梓ちゃんとお姉ちゃんはくんずほぐれつ。
ベッドの中で異種格闘技に明け暮れている。
「え、えっと…」
「あー、そのっ…」
梓ちゃんの言わんとしていたことを完全に理解して、顔がみるみるうちに熱くなり、紅に染まっていく。
まただ、今朝もそうだが、またも梓ちゃんとお姉ちゃんの性活を垣間見せられてしまった。
(頼んでもいないのに…)
質問してしまった私のせいだと言われればそれまでだけど。
とにかくそんな居た堪れない状況で私達が出来るのは、恥ずかしさを誤魔化すように言葉を濁しながら、きょろきょろと視線を泳がせることだけだった。
そんな時、ふと純ちゃんと目があってしまい、さらに顔が真っ赤に染まってしまう。
別に自分たちが当事者というわけじゃないのに、何となく恥ずかしくなって。
パッと、慌てて顔を逸らしてしまった。
「まぁそんなことはいいから早く唯先輩の教室行こうよ」
微妙な空気が流れる空間に伸ばされた救いの手。
梓ちゃんにしては珍しい空気の読める発言だった。
この時ばかりは梓ちゃんが天使に見えた。
「そ、そうだね!そうだよね!そうしようそうしよう!」
「よ、よしっ!んじゃ早速乗り込みますか!」
そうして、脳内がピンク色になりかけていた気持ちを強引に切り替え。
梓ちゃんを先頭に、目的の場所へ向けて階段を上り始めたのだった。
「ふでぺーんふっふ~♪」
梓ちゃんはご機嫌だった。
それは階段を上り始めてすぐのこと、彼女は放課後ティータイムの持ち歌「ふでペンボールペン」を歌い始め、物静かな校舎に彩りを添えていた。ちなみに何故ふでぺんなのかと言われれば、きっとふでぺんが梓ちゃんにとってとても大切な曲だからなのだろう。
聞いた話によると、二人が付き合う前にお姉ちゃんと初めて練習した曲が、このふでぺんだったんだそうだ。
二人の思い出の曲であり、二人の馴れ初め、始まりとも言える曲。
だからなのか、他の曲よりも思い入れが強いらしく、何か嬉しいことがあったりするといつも歌ってたりする。
「梓ちゃんもだいぶ元気になってきたね。この分ならもう大丈夫かな?」
「大丈夫になってくれないとこっちが困るよ…。もうブロッコ――じゃなくて私の可愛い髪の毛ちゃん引っこ抜かれたくないもん」
やれやれと呆れた顔で首を振る純ちゃんに、私はクスっと笑みを漏らす。
ていうか今、何気に例の緑黄色野菜の名を口にしたような気がするのだが、気のせいだろうか。
あまりにも私たちが例の名前を口にしすぎたせいで彼女にも移ってしまったのかもと冷静に分析してみるが、ここはとりあえず彼女の傷を抉るような事はしたくないので聞き流しておくことにする。
「ふるえ~るふっふ~♪」
梓ちゃんはなおも上機嫌である。
歌い方にもメリハリが出てきて、声のトーンも徐々に上がってきている。
さらには喜び方にも幅が出て、ただ歩いていたはずが今ではスキップに変わっていた。
るんるん気分だってことが嫌でも分かる。
「梓ってさ、本当分かりやすいよね」
「それは言わない方向で」
「教室に近づけば近づくほど元気が増してるような気がするんだけど」
「ははっ…」
私は苦笑いを浮かべることしかできない。確かに純ちゃんの言うとおりだった。
梓ちゃんはお姉ちゃんのクラスに近づくにつれ、その表情に一層の輝きを増し、お肌はつやつやのテカテカ。
見るも眩しいその顔は、今朝お姉ちゃんと梓ちゃんの痴態を目にしたときの二人のそれに重なって見えた。
「梓ってホント猫みたいだよね」
「それも言わない方向でどうか」
「やれやれだね、まったく…」
純ちゃんの物言いは一々的確でもっともだ。
確かに梓ちゃんの喜びに満ち溢れた表情はどこか猫を思わせる。
人間以外の何者でもないのは分かる、分かっているのだが…。
それでもたまに、本当に猫なのか人間なのか分からなくなることがあったりなかったり。
きっと喜んでいるときの彼女の唇が猫みたいにωになっているから、そう思わせるのかもしれない。
とにかく今の梓ちゃんは元気が有り余っているみたいで、ちょっとやそっとでは以前の状態には戻らないだろう。だが、その事に対してちっとも安堵してくれない自分の思考回路に溜息を付きたくなる。
(…梓ちゃんって燃費悪いもんね…)
今でこそハイテンションだが、いつどの拍子に前みたいに戻ってしまうかわからないので不安になる。
梓ちゃんは言うなれば燃料消費の激しいスポーツカー。燃費が悪くて当然のスピード特化の仕様。
どう考えたって長距離、長時間には向いていないエンジンを積んでいる。
それに加えてお姉ちゃんは燃費消費を最大限にまで抑えたハイブリットカー、今の時代の象徴たるエコカーと言ってもいい。
つまりその差がお姉ちゃんと梓ちゃんの違い。
単純計算でお姉ちゃんが20km/ℓ走るのに対し、梓ちゃんはたったの10km/ℓしか走れない。
2倍の差はあまりにも大きすぎるのだ。
しかしそれでも実際に、私の提案が功を奏し予想以上の効果を発揮したのもまた事実。
それは喜ばしいことだけど、あとは如何にして“唯先輩分”を維持し続けるかが問題なのだ。
果たしてどうなるものやら。
「ハァ…」
先が思いやられる今の状況に、無意識のうちに溜息を漏らしてしまう。
「大丈夫?憂」
おまけに純ちゃんにまで気を使わせてしまって、申し訳ない気持ちになってしまう。
しかしこれ以上気を使わせたくないので「大丈夫だよ」とニッコリと笑顔を見せた。
とりあえず今は深く考えるのはやめ、梓ちゃんの後姿だけを見て歩くことに集中した。
それから目的の場所に到着したのはすぐのことだった。
階段を上りきってしまえばその場所は目と鼻の先。距離的には一歩手前である。
目の前にはどこも一緒の見慣れた教室への扉。
そして上を見上げれば目に映るのは見慣れない3年2組の表札。
そう、つまりここがお姉ちゃんの教室というわけ、
私たちが待ち望んだ楽園への第一歩。
「じゃあ開けるよ?」
梓ちゃんの問いかけに、無言でコクンと頷いた私と純ちゃん。
ガラガラと開かれていく扉を前にしてゴクリと唾を飲み込んだ。
「お邪魔しまーす…」
梓ちゃんに置いてかれないよう、背中にピットリと張り付き、一歩前へと進む。
ついに3年2組の教室の敷居を跨いだ私たちは、溜息にも似た気の抜けた声で「はぁ~」と感嘆の声を漏らす。
目の前に広がるその光景はやはり、私達の教室とさほど変化は見られなかったが、窓から見える景色と教室を漂うその独特の雰囲気に心動かされる。
「な、なんか緊張するなぁ…」
「そ、そうだね…」
純ちゃんの言うとおり、何故か変に緊張してしまう。
別にどこの教室だって一緒の構造のはずだけど、学年が違うだけで別世界に迷い込んだような気がしてならない。まるで不思議の国のアリスにでもなった気分だ。
「えーと、唯先輩の机は…」
しかし、私たちとは違い平然とした顔できょろきょろと辺りを見回す肝の据わった梓ちゃん。
目的の場所は教室ではなく、最初から別にあると言わんばかりに人様の教室を突き進む梓ちゃんは、迷うことなくある一点を目指して歩を進める。
それは窓際一番後ろの席、つまりお姉ちゃんの机だった。
「ここが…唯先輩の…」
ゴクリっと生唾を飲み込んだのを耳にした私と純ちゃんは、顔を見合わせ思わずクスっと笑ってしまう。
梓ちゃんの目の前に存在するのは、彼女がこの数時間待ちに待ったお姉ちゃんの机。
その気持ち、分からないでもない。
プルプルと小刻みに体を震わせながら、梓ちゃんは何かを期待するような視線を私達の方に送ってくる。
何を言いたいのか瞬時に理解した私は、クスっと笑いながらコクンと頷いて見せた。
「座ってみたらいいんじゃないかな?」
「い、いいのかな?」
あれだけ好き放題やってきたというのに、お姉ちゃんが絡んだ途端に遠慮がちになるのはいかがなものかと。
どうせなら最後まで自分の信念を貫いて欲しいとは思ってはみたけれど、人間というものは本当に望んだものを目の前に差し出されたとき意外にも尻込みしてしまうことを私は重々承知していた。
だからこそ私は、梓ちゃんに望みを叶えて欲しいと思った。
せっかくここまで来たのだ。このまま何もせずに帰るなんて、私としても納得いかないものがある。
「好きにしたらいいと思うよ。梓ちゃんはお姉ちゃんの恋人さんなんだから。お姉ちゃんだったらきっと喜んでくれると思うよ」
「そ、そっか…恋人、恋人だもんね。そ、それじゃあ早速いかせていただきますがよろしいですか?」
「うふふ、よろしいですよ♪ 頑張って梓ちゃん」
よしっ!と気合を入れた梓ちゃんは、意を決したように椅子を引いて、恐る恐る腰を下ろし席に座る。
座ったまではいいのだが、緊張しきっていることがその顔を見れば嫌でも分かり、まるで氷付けにあったみたいに微動だにしなかった。
「ふふ♪ 梓ちゃん緊張してるね!」
「まぁ、分からなくもないけどね。愛しの唯先輩の机に今まさに座ってるんだもん」
離れたところから生暖かい目で見守る私達を他所に、梓ちゃんを縛っていた氷は徐々に溶け始める。
顔はだんだんと綻び、熱に浮かされたように朱に染まり、喜びに満ちたようにパァーっと輝き始めた。
「えへへ♪ ゆいせんぱ~い♪」
突然ニヤニヤしだして名前を呼んで、何かを思い浮かべては顔を真っ赤に染めて、いやんいやんと首を振り乱す。きっと梓ちゃんの頭の中では想像を絶するパラダイスが広がっているのだろう。
机に座ったくらいで随分と妄想力逞しいなぁ。
「うふふ♪」
机に頬を当ててすりすりと擦り付けるその様子は、まるでお姉ちゃんの匂いを吸収しているみたいで。
きっと吸収するだけじゃなく、あわよくば自分の匂いもすり込んでしまおうという魂胆だ。
絶対そうに違いない。
「ちゅっ♪」
挙句の果てには机に向ってキスまでしやがりました。
もはや遠慮も何もあったものではなく、やりたい放題だ。
もしかしたら理性のたがが外れてしまったのかもしれない。
「あっ!」
ふいに頬擦りがピタリと止んで、何かに気付いて驚いたような声を上げる梓ちゃん。
机のある一点に目が釘付けだった。必死に口元に手を当てているが、今にもニヤニヤと崩壊しそうなその顔は、喜びをまるで隠しきれていない。
いったい何がそんなに梓ちゃんの心を惹いたのかと、さすがに気になってきた私達は、傍によって梓ちゃんの視線の先を追う。そして。
そこには、綺麗とも汚いとも言えない字で落書きがしてあった。
「ああ…なるほどね」
純ちゃんは納得の表情で、ニヤリと口元を歪ませる。
純ちゃんが納得して私が納得しない道理はないのだから、当然私もその意味を理解した。
机の右上上部、その部分にはお姉ちゃんの字でこう書かれていた。
――あずにゃん大好き!
おまけに相合傘と梓ちゃんの可愛らしい似顔絵まで書いちゃってる乙女なお姉ちゃん。
授業そっちのけで梓ちゃんの事ばっかり考えているのがありありと伝わってきそうな落書きだった。
やっぱりお姉ちゃんも梓ちゃんも似たもの同士だなって、そう思わずにはいられない。
「も、もう!ゆ、唯先輩ったらこんな恥ずかしいこと書いちゃって、ホントバカなんだから!」
とかなんとか言いながら、ニヤケ面を隠しきれてないよ梓ちゃん?
そんな梓ちゃんの様子に、純ちゃんはフっと笑いながら、やれやれと首を振る。
「あーあ、なんかもうお腹いっぱいだよ」
「あはは、そうだね♪」
「とりあえず梓はほっといて私も澪先輩の席さがそーっと!」
「えーと確か澪さんの席は…」
これ以上梓ちゃんに付き合ってたら歯も浮くようなノロケ話を聞きたくもないのに聞かされそうな気がして。
早々に立ち去ることに決めた私たちは、とりあえずは純ちゃんの目的である澪先輩の席へと歩み寄った。
やはりしっかり者の優等生な澪先輩だけあって、落書き一つない綺麗な机だった。
純ちゃんは「おおー!ここが澪先輩の席かー!」と目を爛々と輝かせ、梓ちゃんとは違い、遠慮せずに席に座ってみる。
「なんかカッコよくなった気分!」
「う~ん、あんまり変わらないような」
「えー…やっぱり私じゃ澪先輩みたいになれないのかなぁ」
「そ、そんなことないよ!純ちゃんとっても可愛いし、ベース弾いてるときの純ちゃんとってもカッコいいと思うよ!」
そう言って聞かせると、ポっと頬を染めて顔を逸らした。
「あ、あの…そんなこと真顔で言われるとさすがに照れるんですけど…」
「あっ!そ、そのっ…!」
「ははっ、まぁそんな風に思っててくれるなら嬉しいな」
「じゅ、純ちゃん…」
どこか優しくて、嬉しそうな顔で机を撫でる彼女に、一抹の不安を覚える。
「あの…さ、純ちゃんって澪さんのことが、好きなのかな?」
私はいったい何を聞いているのだろうかと、言った傍から後悔していたら世話は無い。
後悔先に立たず。もしここで私の望む答えが返ってこなかったら、そう考えただけで涙が出そうになる。
きっと大丈夫だ。純ちゃんに限ってそれはあり得ない。などなど。
色々考えては見ても、結局のところそれは私の都合でしかなかった。
そして神様は無情にも私の望みは叶えてくれない。
「んー、好きだけど」
「っ…そ、そっか」
その一言に胸に鈍い痛みが走る。ズキズキと胸が痛み、キュッと締め付けられる。
分かっていたこととは言え、面と向かって言われるとダメージは相当なものだった。
落ち込んでいく心を意識しながら、とにかく変に思われないようにと、慌てて作り笑いして。
しかし純ちゃんは、まるで私の心を見透かしたみたいに突然プっと噴出した。
どうして――?
「な、なんで笑うの!」
「あははっ、だって憂ってば分かりやすいんだもん」
「な、何がっ…!」
私の気もしらないでお腹を抱えて笑う純ちゃんにカチンときて、半ば自棄になって問い返す。
「大丈夫だよ、好きって言っても憧れって意味だから」
「大丈夫って…な、なんで私にそんな事言うの?べ、別に私には関係ないよ」
「ホントにィ~?」
「ホントだもん!」
ニヤニヤと意味ありげな視線が私をイライラさせる。
頬をプクーッと膨らませてプイッとそっぽを向いたけど、内心ではひどく安堵している自分がいた。
それが無性に恥ずかしくてならなかった。
(よかった…のかな?)
まぁ実際、ホっとしているのだから良かったのだろう。
純ちゃんが言うには、澪さんに対する気持ちは憧れ以外の何物でもなく、あの人の演奏するベースが自分の目標であり、そしていつかあの人に近づけた時、同じ場に立って一緒に演奏してみたいんだそうだ。
話しているときの楽しそうな表情がとても印象的で、こっちまで楽しい気分にさせられて。
そして、そこまで全力で打ち込める何かがある純ちゃんの事を羨ましいと思ってしまった。
私にも、見つけられるかな。
純ちゃんみたいに心を熱くさせるような何かを――。
「ねぇ憂、今日泊まりに行っていいかな?」
「え、どうしたの突然」
「いや、なんとなくね。お姉ちゃんいないんでしょ?憂のことだから寂しいんじゃないかと思って」
「も、もう!子供じゃないんだからそんな事…」
「ないの?」
「…ちょっとあるかも」
「へへっ、じゃあ決まり!梓も呼んでお泊り会しちゃおう!」
「もー強引なんだからぁ」
「そういう憂だって楽しそうじゃん」
「えへへ♪」
純ちゃんの進言によって突然決まったお泊り会。
賑やかな夜になるような気がして、今から楽しみだった。
頑張ってお料理も作らないとね!
「というわけで梓、今夜は憂んちでお泊り会だから。おーけー?」
「うふふ、梓ちゃんだったら絶対来ると思うよ。お姉ちゃんの家でもあるんだから」
「ははっ、そりゃそうか」
確認を取るまでもないだろうが、梓ちゃんに一応は聞いておこうと思って。
梓ちゃんが座っていたお姉ちゃんの席に目を向けた瞬間――。
「「なっ!?」」
その先で繰り広げられていた驚くべき光景に、私達は驚愕に目を見開いた。
「くんかっ!くんかっ!」
そこにはお姉ちゃんの椅子に跪く梓ちゃん。跪くだけならまだいいが、問題なのはその行動、行為。
お姉ちゃんのお尻が触れていたであろう部分に鼻を近づけて、クンクン匂いを嗅いでいる梓ちゃんがいた。
彼女の将来を本気で心配になったのは言うまでも無いが、とりあえずこれだけは言わせて欲しい。
大きく息を吸って、全身全霊をかけて咆哮した。
「カムバーーック!梓チャーーン!!」
戻ってきて――。
ただそれだけを切実に願う親友二人であったそうな。
つづく