※追記からどうぞ!
自室のベッドに横たわりながら、物思いに耽る。
あの音楽室での一件から数刻経った今、私もすっかり落ち着きを取り戻していたが、落ち着いたら落ち着いたらで、胸の内にふつふつと湧き上がってくる後悔の念に押し潰されそうになっていた。
結局あれから、5分としない内に後悔した。後悔先に立たずとはよく言う。今更後悔したって過去が変わるわけじゃないし、たとえその時に戻れたとしても、今とは違う選択肢を選べたかと言えば、正直自信は持てない。
「はぁ…」
ズキズキと、胸が締め付けるように痛む。思わず胸を押さえてしまいそうなほどに。
この胸を締め付ける痛みが、自責の念に囚われた私を絶望の淵へと追いやって離さない。
いったいどうしたらこの胸の痛みは消えてくれるのだろう、なんて考えるのはやはり無意味だろうか。無意味だろうね。
最初から答えが分かりきっている問答に意味などあるはずがない。
唯先輩との関係を元に戻す――その方法以外に、この胸の痛みを消し去る方法なんてあるはずがないのだから。
「はぁ…」
あれ以来、もう何回目になるかもわからない溜息。すでに3桁は超えているかもしれない。溜息をつくと幸せが逃げていくというが、その話が本当だとするなら、私の幸せなんてすでに大気圏を越えて銀河の果てまで逃げ出している。
「ん…」
寝返りをうち、目を向けた先には私と共に横たわる赤いギター。
ちょっと前まで気を紛らわせるためにギターの練習をしていたのだが、いかんせん、ぜんぜん楽譜が頭に入らないばかりか、弾いた傍からコードを間違えたり手が止まってしまったりで、まるで身にならず、練習なかばでやめてしまった。
大好きなギターを弾くことすら今の私にはできないのだから、これはもう重症だ。
ギターが好きだからこそ、その気持ちを唯一共有できる存在を嫌でも思い出してしまうから、仕方がないっていえば仕方がないのかもしれないけど。
ギターに触れると、あのときの唯先輩の泣き顔を思い出して心を痛める。唇をキュッと噛み締めて溜息をつく。結局はその繰り返し。
私は目線をギターから外して、徐に天井を見上げる。
何も考えたくないけど、考えないようにすればするほど、思い浮かぶのはやはり唯先輩の事だった。
「どうしたら…いいのかな…」
どうしたらも何も、謝る以外に選択肢なんてあるはずがないのに、それなのに今の私にはそれを選択できるだけの勇気を持つことができないでいた。自分の中に存在するもう一人の自分が、勇気を持とうとした先からそれを崩していく。まるで、完成間近の積み木を崩してしまうような、そんな感覚。
つまり臆病者――。
私はいい加減、その臆病さには嫌気が指した。自分のことなのに怒りを覚える。できることなら思い切り殴り飛ばしてやりたいとすら思った。
どうして「ごめんなさい」の一言が言えないの?
たった一言、それだけで、きっと唯先輩は許してくれるはずなのに。
…ううん。違う。それはあくまで“はず”であって絶対じゃない。
だから、もしかしたら、ずっとこのまま――。
思考が暗い考えで埋まりかけていた。
もうダメだと、もう2度と唯先輩とは笑い合えないと、そんな風に思いかけていた。
しかしその時、その暗がりを打ち消すように、けたたましい音が部屋に響いた。
ピリリリリッ!!――。
携帯の着信音だった。
私の携帯電話が、静寂を破り鳴り響いている。何の前触れもなく鳴り響いたそれに一瞬ビクリと体を震わせたが、すぐに正気になって、音と振動そして光によって信号を発するそれに恐る恐る手を伸ばす。
「電話?…誰から…?」
正直今は電話に出る気分にはなれなかったが「もしかして唯先輩かも…」なんて一瞬思って顔が緩みかけた。
が、しかしそれは早くも曇ることになる。
そんな風に思う反面、そんなわけがあるはずないと思っている自分もいたから。
「…ははっ…そんな虫のいい話あるはずないじゃん…バカみたいっ…!」
自虐的な笑みを浮かべながら、唯先輩である可能性を否定するように頭を振る。
さっきの今で唯先輩から連絡がくるなんて、そんな都合のいい話があるわけない。
情けないことばかり考えてるから、変な希望なんて持ってしまうのだ。
そうやって自分自身を嘲笑った。
「ハァ…まぁいいや…誰からだろ?」
溜息をつき、頭を振って、携帯の画面に目を移す。
画面には、“唯センパイ”などとは一文字たりとも書いてはおらず。
はっきりと “ムギセンパイ”と表示されていた。
「ムギ先輩?」
やはり唯先輩ではなかったが知り合いの名前である。
いや、そもそも知り合い以外から電話が来るなんてこと自体、携帯電話ではそう多くないと思うけど。あるとしたら間違い電話か、通販などで利用する宅配便かのどちらかだ、私の場合。
なんにしても私の予想は見事に外れてしまったけど、実際外れていてホッとしている自分がいるのも確か。まぁ情けない臆病者の私には至極当然と言えるだろうけど。
「どうしよう…でないとダメだよね…」
一瞬電話を取るかどうか迷ったが相手がムギ先輩となれば話は別だった。これがもし他の友達やそれ以外からの電話であれば、申し訳ないが気付かないフリをしていたかもしれない。
けれど同じ部の、しかも先輩相手にそれをやるなんて、さすがに罪悪感は拭えない。
それにムギ先輩にはさっきの一件についても謝らないといけないとも思っていたからなおのこと。不快な思いをさせてしまったのは間違いないなのだから。
「すぅ~…はぁ~」
息を吸って吐いて、軽く深呼吸。
それから震える指先で恐る恐る通話ボタンを押した。
「は、はい…もしもし」
受話器を耳に押し当て、第一声。
『あっ…もしもし、梓ちゃん?』
「は、はい」
耳を震わせるその優しい声は、やはりムギ先輩で間違いなかった。
『どう? あれから少しは落ち着いた?』
それからいきなりの直球勝負。私は思わず息を詰まらせ、呼吸をすることを忘れた。
普段のおっとりぽわぽわしたその様子からは伺いすることはできないが、あんがい回りくどいのは嫌いなのかもしれない。
意外と頑固で、これと決めたら梃子でも動かない芯の通った女性だということは、まだまだ短い付き合いの私にだって分かっていた。それくらいにはあの人の事を見てきたつもりだから。
「あ……は、はい。その…さっきはす、すみませんでした。いろいろ嫌な思いさせちゃいましたよね…?」
『ふふ、私達の事はいいのよ、気にしなくても。それに梓ちゃんが本当に謝らなきゃいけない人は別にいるでしょ?』
ムギ先輩の口調はどこまで優しい。咎めるようなことは一切せず、逆に安らぎを与えるような温かみがある。しかし優しく感じようと、やはり言っていることは胸にグサリと突き刺さる。
「……容赦ないですね、ムギ先輩」
『うふふ♪』
ムギ先輩の笑い声は「なら早く謝りなさい」と急かしているように聞こえてならなかった。もちろんそれは私の思い込みで、実際にムギ先輩がそんな風に思っていないことは百も承知。
それに、唯先輩に謝らなきゃいけないってことは最初から分かっている。
分かっていてもできないから、今こうして悶々と思い悩んでいる。
「そ、それで、電話してきたって事は、何か用件があるんですか? それとも今のが用件ですか?」
なんとなく居た堪れなくなり話を逸らしてみたのだが、
『ううん、本題はここからよ』
案の定、バッサリと斬り捨てられる。
『ちょっと梓ちゃんに聞きたい事があって電話したの』
「……聞きたいこと、ですか?」
『うん、とっても大事なことだから』
「…大事な、こと?」
『ええ』
疑問は疑問を呼び、質問は質問で返される。
それはもしかして先刻の唯先輩との一件の事だろうか、なんてふと思い至ったが、というより今この状況におていそれ以外の事に思い当たる節がない。
私は眉を顰める。心の中で様々な可能性を思い浮かべてみる。しかしこれだっていう答えが見つからない。とりあえず悩んだところで始まらないのでムギ先輩に聞き返す。
「それでその、大事なことって何ですか?」
『うん。あのね。間違ってたらごめんなさい…ね?』
「な、なんですか? 随分歯切れが悪いですね…?」
そんな風にもったいぶられると不安になってくる。
『まぁ確証はあるんだけどね…』
それは何の確証だろうか?
「ねぇ梓ちゃん、貴女――』
「…っ」
ゴクリと、生唾を飲み込みながら、一言も聞き漏らさぬよう無言で耳を澄ます。
いったい何を言われるのかと内心ビクビクしながら体を強張らせていた。それでも何を言われてもいいように心構えだけはしておこうと思って待ち構えていたのだが、しかしそれは生憎と意味を成さなかった。
次の瞬間、ムギ先輩から告げられた言葉は、
『唯ちゃんのこと“好き”なんでしょう?』
私を崖っぷちへと追いやり、奈落の底へと突き落とすには十分な威力を持っていた。
「―――」
そう言われた瞬間、ピシっと、室内の空気が一気に凍りついたような気がした。気がしただけでもちろんそんな事はないのだろうが、それだけ私は動揺を露にしていた。
思いがけない重大告白に思考力を奪われ、微動だにできない。呼吸さえままならなかった。口をぱくぱくと金魚みたいに開いては閉じ開いては閉じを繰り返していた。
(…な、にを?)
ムギ先輩が何を言っているのかまったく理解が及ばない。というより今の思考がまったく働かない状態で理解しろと言う方がさすがに無理なような気がする。
そしてふと“聞き間違い”という考えに至る。あまりに思い悩みすぎて幻聴を聞いたのかもしれないと、勝手にそう思い込もうとした。
「…あの…ムギ先輩、今…何て…いいました?」
だから私は聞き返す。聞き間違いであることを信じて――。
しかしムギ先輩に容赦はない。私の考えなどお見通しと言うようにクスっと電話越しに笑みを浮かべて。
芯の通った透き通るような声で私の鼓膜を震わせた。
『唯ちゃんのこと好きなんでしょう?』
私の心臓を鷲掴んで離さないその言葉は、一言一句変わらない。
逃げ場を失った私は、ただ愕然としながら顔を青くすることしかできなかった。
認めたくなかった。間違いであってほしかった。嘘であってほしかった。
だってムギ先輩が私の気持ちに気付いていたなんて、そんな事――。
(好き…? な、なんで…ムギ先輩が…?)
何度も何度もムギ先輩の言葉を頭の中で反復した。けれどやはり事実は変わってはくれない。考えれば考えるほど、その事実がはっきりと胸に刻み込まれてしまう。
ムギ先輩は、私の唯先輩に対する気持ちに確信を持っている。
「も、もちろん唯先輩の事は好きですけど…」
『ううん…私が言ってる“好き”はそう言う意味じゃないわ。梓ちゃんだってホントは分かってるんでしょ』
「うっ…そ、それはっ…」
うろたえてしまえば図星と一緒。ただ最後の抵抗にと誤魔化してみただけだが、やはりムギ先輩には通用しなかった。ムギ先輩相手に誤魔化しが効かないことは最初から分かっていたはずなのに。
「…言い逃れしちゃ、ダメですよね?」
『うん。ダメ』
はっきりと告げるムギ先輩。
これ以上の誤魔化しは許さないと、そう安易に告げているように聞こえた。
もし今私の前に選択肢が並んでいたとしたら、『認める』以外の選択肢は用意されていないだろう。
もう素直に胸の内を吐露するしか道はないと悟った私は、体からフッと力を抜いて脱力した。
「どうして、分かったんですか?」
そう認めて、ムギ先輩に問い返す。気付いた理由くらい教えてほしいと思ったから。
今まで誰にも気付かれないように行動してきたつもりだけど、ムギ先輩にはばれてしまった。ばれない自信はあったのに、それなのにこうもあっけなく。でも『ムギ先輩だから』という理由で納得している自分がいたのも確か。
この人は、律先輩、澪先輩以上に人の心に敏感なところがあるから。
『ふふっ…梓ちゃん、ここ最近唯ちゃんが絡むと様子がおかしかったから』
様子がおかしいと言ったって、それには限度と言うものがある。気持ちに感づかれてしまうほど私の様子はおかしかったのだろうか、と少し疑問に思う。
まぁ実際、音楽室での一件はおかしいって限度を遥かに超えていたかもしれないけど。あの一件で気付いてしまったというのならそれはそれで納得だ。
ムギ先輩はクスクスと楽しそうに笑いながら、さらに驚愕の事実を突きつけてくる。
『それにね? 最近の梓ちゃんは、完全に恋する女の子の目だったもの』
「え、えぇぇぇ!?」
思いがけないそのセリフに顔から火を噴いた。
『くすっ、こっちがやけどしちゃいそうなくらい唯ちゃんに熱い視線おくってたよ? もしかして気付かなかった? まぁ自分じゃ気付かないよね、そういうのは』
確かにそれはどうやったって気づかない。きっと無意識だろうし。
「そ、そうだったんですか…。ていうかめちゃくちゃ恥ずかしいんですけど…」
『まぁまぁ♪ このこと知ってるのは私だけだよ。それに当の本人はぜんぜん気付いてないから大丈夫』
それは大丈夫だと喜んでいいところなんだろうか。
いや喜んじゃ駄目だろうな、きっと。
『それでどうするの? 伝えないの? 梓ちゃんの“好き”って気持ち』
「えっええぇぇっ!」
ムギ先輩は相も変わらず直球勝負。たまにはカーブとかフォークとか投げてきてくれてもいいと思うけど、それでも投げたところでストライクを取られてしまっては、結局ムギ先輩の思い通りになるのは目に見えていた。
「そ、そんな無理ですよっ! そ、それに私、あんなに唯先輩の事傷つけて――」
無防備な私の心に全力のストレートを投げ込んでくるムギ先輩に、私は動揺しながらもバットを振りかぶって応戦したが、バッドにかすったボールはあえなくピッチャー返し。アウトを取られてしまう。
『ねえ梓ちゃん。さっきの事は確かに梓ちゃんも悪かったけど、あれは唯ちゃんも悪かったのよ?』
「っ…それは、でも…」
『大丈夫。その事はお互い話をすれば必ず仲直りできるはずだから。唯ちゃんだって仲直りしたいに決まってるもの。梓ちゃんだってホントはそれに気づいてるんじゃない? いままでずっと唯ちゃんのことを見てきたんだから。だってあの唯ちゃんが、梓ちゃんと仲違いしたまま終わってしまうような子だと思う?』
「っ…!」
確かに、と思ってしまう自分がいた。。絶対にそうだとは言い切れないけれど、自分であーだこーだと思い悩むのと違い、ムギ先輩に言われると信憑性があるから不思議だった。私の場合はいくら考えても悪い方向にしか考えられなかったのに。誰か大丈夫だと言われただけで自信や勇気が湧いてくるのだから私も相当単純なのかもしれない。
それとも、これがムギ先輩の言葉の力なのだろうか。
「…そう、ですね」
『心は決まったみたいだね?』
はい、と電話越しにコクリと頷く。
そう、あの唯先輩が今のままで終わる人じゃないってことは私が一番よく分かっていた。仲直りするにしろ、絶縁するにしろ、私との関係に何かしらの決着を付けないまま終わるなんて、絶対あの人らしくない。
私の知っている唯先輩は、たとえ何かで傷ついたって、それをバネにして立ち上がって、元気一杯の笑顔で「ふんすっ!」と気合十分のガッツポーズを決め、後先考えずに行動にでるような人なのだ。
もしかしたら今頃、私と仲直りしようと躍起になっているのかも――なんて言うのはさすがに都合よすぎる幻想と言われてしまいそうだけど、それでも。
それくらい前向きに考え「絶対にそうだ!」と確信を持てるくらいにまで自信は戻ってきていた。
気分が高揚し、胸が躍動して落ち着かない。今すぐにでも唯先輩の下へと駆けつけたい気分だ。
「唯先輩ときちんと話し合って、ちゃんと謝ろうと思います」
『はい。よく出来ました。100点満点よ梓ちゃん』
私の決意に、ムギ先輩は自分の事のように喜んでくれた。
こんなに親身になってくれる人、親友の憂や純を除けば、友達にだってそうはいない。私は、こんなにも素晴らしい先輩を持てたことを誇りに思わなくちゃいけない。幸せに思わなくちゃいけない。
だから伝えたい。ムギ先輩に。ありがとう――と。
しかしそんな私の心情などお構いなしに、ムギ先輩は「さて…」と話を戻していく。先輩の話はまだ終わってはいなかった。まるでさっきまでのは前座だったと言わんばかりに。もちろん私にだって、これからムギ先輩が言わんとしていることはだいたい予想はついていた。
『それじゃあさっきの話に戻るけど。仲直りは絶対にできると過程して、その後なら気兼ねなく告白できるんじゃないかしら?』
「…それは…そうなんですけど…でも…」
なおも渋る私は言葉を濁す。
「…私の気持ちは…だって…」
『もしかして、同性だからって理由で悩んでる?』
「――っ!?」
図星だった。ムギ先輩の物言いはまるで私の心を覗き見しているように正確に的を捉えていた。
『ふぅ…まぁ避けては通れない問題だもんね。悩むのも分かるわ』
同性同士ゆえの悩み。世間一般には認められないその関係性は、下手をしたら悲傷中傷の的になりかねない危険性を秘めている。
まっさきに考えるべき問題だったはずなのに、今の今まで考えないようにしていたことだった。というより他の悩み事が先行してそのことを考えるまでに至らなかったというべきか。とにかくムギ先輩のおかげで心に余裕が持てたおかげか、そのゆとりにつけ込むように、私の心を見えない鎖で縛り付け始めていた。
『確かに同性同士の恋愛っていうのは問題も多いし、世間一般には認められないような関係なのかもしれない。でもね、よく聞いて梓ちゃん』
「……」
『そもそも恋愛って、他人に認められなきゃできないものかしら?』
「……」
『もっと言えば、恋する心と愛する心に男と女が関係あるかしら? 確かに人間は過去から現在に至るまで、男女で恋愛をするのが当然だと、それこそ固定概念のように考えてる』
「……」
『でも本当の本当は男とか女とか関係ないはずよね。ちょっと考えればわかることだよ、誰かを好きになるのに性別なんて関係ない。これは絶対に覆らない事実。誰が何と言ってもね』
電話越しでも、ムギ先輩の哀愁が漂ってくるようだった。ムギ先輩の言う事は正論だけど、
それを認めようとしない人間が多いことが分かっているから、ムギ先輩もやりきれない気持ちでいっぱいなのだ。
『人を本気で好きになるっていうのは、簡単なようで実はとても難しよね。辛いこともあるし、逃げ出したくなるようなことだってもちろんある。男女間だろうと、同性間だろうと、そこは関係ないよね』
そこで言葉をいったん切って、ふぅっと一息つくムギ先輩。
『でも、それから逃げてしまったら大切な人と結ばれる事なんて出来ないよ。互いに手を取り合って立ち向かっていかなきゃ、本当の意味で結ばれることなんてありえない』
私は、ただ黙ってムギ先輩の話を聞いていた。
『ねぇ梓ちゃん、恋人の条件ってなんだと思う? キスをすれば恋人同士? 体の繋がりが恋人同士? ううん、私は違うと思う。確かに恋焦がれることも大事。でも本当に大事なのは、真にお互いを思いやる気持ちじゃないかな。それができて初めて“恋人”と呼べる存在になれるんだと思う。それはもちろん私の勝手な考えなんだけど、でも間違ってはいないと思うの。大切な人を思いやる気持ちに、男も女も関係ないもの』
「……そう、ですね」
『この世界の恋人同士は、果たしてどれだけの人達が本当の意味で〝恋人同士″と呼べるのかしらね』
だんだん、分かってきた。私がなすべきこと。進む道。
たとえその道が茨の道だろうと、そこで立ち止まっていたらいけないのだ。
唯先輩と私が本当の〝恋人同士″になれるかどうか、それは私たちの生き方次第。
「梓ちゃんは唯ちゃんと恋人同士になりたい?」
「なり、たい。なりたいです!なりたいに決まってます!!」
「そう。それじゃ信じてみない? 自分の気持ちを。唯ちゃんの事を」
「…ぁ」
信じる――その言葉に思わずハッとしたのはお昼休みに憂に言われた事を今頃になって思い出したからだった。
『お姉ちゃんを信じて、待っててあげて』
一言一句間違いなく、確かにそう言われた。今になって思い出すなんて私はなんてバカなんだろう。
私は待たなくちゃいけなかったのだ。憂の事を信じ、唯先輩のことを信じて。
(信じる・・・信じる・・・自分の事、唯先輩の事・・・)
ふぅーっと長い息をついて、目を閉じながら心の中で決意を固めていく。
唯先輩が私の気持ちに応えてくれるかなんて分からない。もしかしたら断られてしまうかもしれないが、それがどうした。断られる事に怯えて気持ちを伝えないでいるなんてやっぱり間違ってると思うし、伝えないで後悔するより、伝えて後悔した方が何倍もマシだと思った。
「……ムギ先輩」
『うん?』
「私…唯先輩にこの気持ち、伝えようと思います」
『そっか…よかった。うふふっ、熱く語った甲斐があったわね。私も陰ながら応援してるから頑張ってね?』
「は、はいっ! その…ムギ先輩、色々とありがとうございました」
『ううん、そんなことぜんぜん気にしないで。唯ちゃんも梓ちゃんも軽音部の大切な仲間だもの。うまくいって欲しいと思ってるから』
「ムギ先輩・・・・・・」
『ふふっ、あんまり長電話してるとあれだから、そろそろ切るわね?』
「あ、はい、おやすみなさいムギ先輩」
『うん、おやすみ梓ちゃん』
しっかりね――そう最後に告げられて電話が切られた。
しかし切られた次の瞬間、まるでそれを狙っていたと言わんばかりにまたも携帯の着信音が鳴り響いたが、今度のは電話ではなくメールを知らせる音だった。
「えと…っ!?」
早速メールの内容を確認すると、そこには思いがけない人の名前。
しかし私にとっては馴染み深い名前で、そして今この瞬間誰よりも待ち望んでいた人の名前だった。噂をすればなんとやらとはよく言う。携帯の画面には見間違うはずもない『唯センパイ』の名前がはっきりと表示されていた。
「ゆ、唯先輩から…なんだろう?」
振るえる指先で狙いを定めるが、なかなかメールを開くことが出来ない。
メール一本見るだけで体が震えてくるのだから大変だ。それでもようやく掴みかけたチャンスをむざむざ手放すことなんて出来ないと自分を奮い立たせながら、必死の思いでメールを開いた。
そこには唯先輩らしからぬ口調で一言だけ、こう記されていた。
『明日のお昼休みに、屋上まで来てください。大事な話があります。』
大事な話、ということろに引っ掛かりを感じたが、私も私で大事な話があるので丁度いいと思った。というより、これが最初で最後のチャンスなんじゃないかと内心確信していた。
「明日か…よしっ!!」
ギュっと握りこぶしを作って、「ふんすっ!」と荒い鼻息をつく。だんだん挙動が唯先輩に似てきたかなってふと思ったけど、大好きなあの人に似るのならそれも悪くないと思った。
気合は十分。私はもう逃げない。唯先輩とちゃんと向き合って、そして今度こそ伝えるんだ。
ごめんなさい、と。
大好きを――。
つづく
と、言う事は唯梓の需要も高いということですね(ニヤリ
唯梓すきーの私に取っては非常に喜ばしい事です。これからも頑張って下さい。