※追記からどうぞ!
いつもの帰り道をとぼとぼ歩く。
ついさっき音楽室を飛び出してきて今まで息が切れるまで走り続けたが、結局は疲れ果て、止まらざるを得なかった。己の体力不足を痛感し、嘆き、ちょっとは運動した方がいいかなっと考えさせられたけど、3日坊主になるのは目に見えているので考えるのをやめた。
それに、今はそんなことをやろうと思えるほどの元気も余裕もない。
「はぁ・・・・・・勢いで飛び出してきちゃったけど・・・これからどうしよう・・・・」
本当であれば、これから例のバイトだった。しかも今日でようやくバイト代が溜まるのだ。
そうだと言うのに、今日という日はなんて間が悪いんだろう。神様は私に何か恨みでもあるのかな、なんて一人ごちてみるが、自分の責任を他の何かにぶつけるなんて責任転換もいいとこなので、頭を振る。
(・・・・どうしたらいいの・・・・?)
あの指輪が買える。それはとっても嬉しいなって、そう思うんだけど。
ずっとずっと待ち望んでいたものが手に入るというのにまったく喜んでいない私の心は何なんだろう。
もしかして、もういらないなんて思ったりしてるのかな。もう必要ないものだって、そう思ってるのかも。
ネガティブな思考は、私から行動力を根こそぎ奪っていく。
そして、もうバイトに行くのやめようか、なんて考えていたその時。
「あれ? 唯?」
ふいに背後から声をかけられ呼びとめられた。
「え・・・?」
ゆっくりと振り返ると、そこには見間違うはずもない私の幼馴染、真鍋和ちゃんがいた。
「和ちゃん? どうしてここに・・・?」
和ちゃんはゆっくりと私に近づき隣に並ぶ。
「私は生徒会の帰りよ・・・・・・ていうか唯、あんたいったいどうしたのよ、その顔」
「え・・・・? な、なに・・・・?」
私の顔を見て、驚いた表情で指摘してくる。
いったいどうしたんだろうかと、もしかして私の顔に何かついているのかなって思って、両頬を手でぺたぺたと触ってみたが、特に何もついてなかった。
すると和ちゃんは、やれやれと頭を振りながら、
「・・・・・・・あんた自分の顔、鏡で見てみなさいよ?」
心底あきれたように、溜息をついてくる。
言われた通り鞄から手鏡を取り出し、自分の顔を見てみた。
「あ・・・・・・」
鏡に映っていた私の顔はホントにひどい。目が真っ赤になってて、顔も涙と鼻水でぐしゃぐしゃで、正直言って女の子が天下の往来を歩くにはもっとも相応しくない格好だった。そんな格好をさらしていい気分にはならないけど、それでもそれを正す気力も今の私にはない。
ずーんっと落ち込む私に、和ちゃんは心配そうに問いかける。
「・・・・・・・なにか、あったの?」
何があっとのかと聞かれれば、当然何かあったんだけど。
「え・・・? べ、別に・・・・何も・・・・」
なのに私は、そんな質問にすらまともに答えることが出来ず、はぐらかしてしまった。
でもそこで黙っていないのが和ちゃん。大きな溜息をつくと、私の手をガシっと掴み、強引に引っ張ってくる。
「唯・・・ちょっと来なさい」
「え?え?ちょ、ちょっと和ちゃん!?」
私の言葉になんて耳も貸さずに、手を取ったまま帰り道とは別の方角に歩き始めた。
「・・・和ちゃん? ど、どこいくの?」
「いいから、黙ってついてきなさい」
普段からは考えられないような怒りを含んだ声。私はビクッとなって黙って手をひかれる。
結局、和ちゃんのなすがまま、言われるままに後をついていくしか私には選択肢は用意されていなかった。
**
和ちゃんにつれられてきた場所、そこはどこにでもあるありふれた公園だった。
ずんずんと奥へと進み、立ち止まったのは公園の遊び場としてはわりとメジャーなブランコの前。
それから私を半ば圧し付けるようにブランコに座らせると、さらに自分も隣のブランコに腰掛けた。
「それで・・・・いったい何があったの? 言っとくけどそんな顔して何でも無いっていうのは却下だから」
「うう・・・・」
こういう時の和ちゃんの行動力には恐れ入る。こういう所は昔から全然変わってない。
「・・・・・もしかして・・・・・私には話せないような事・・・?」
怒りの表情から一変して寂しげな表情に変わったのを見て、思わずハッとする。
音楽室に残してきたみんなの表情を思い出してしまい、自分の不甲斐なさに涙が出そうになる。
これ以上誰にも迷惑をかけたくないと思って飛び出してきたのに、また大切な人に迷惑をかけている。
せめて泣かないようにしようと思った。ここで泣いてしまったら、さらに心配をかけると思ったから。そうなることだけはなんとか必死に耐えた。
「ねぇ唯・・・・言いたくないなら無理には聞かないけど・・・・一人で悩んでてもダメな時もあるのよ? そういう時は誰かに話すなりした方が、気持ち的に楽になるものよ」
でも和ちゃんは私の心を見透かしたみたいに優しく言って聞かせる。
「え・・・・?」
「一人で悩んで解決するくらいなら、あんたならとっくに解決してるでしょ?」
「あ・・・・・・」
そう言われて気づく。思い知らされる。
一人で悩んで解決しないなら、もう私にはどうすることもできない。ただ悩むだけ悩んで、出口のない迷宮を延々とさまよった挙句に、ボロボロに朽ち果てるのが容易に想像できた。一人朽ち果てるならそれもいいなんていうのは自分勝手なエゴだと思う。それがどれだけ大切な人たちの笑顔を奪っていくことになるのか、私はぜんぜん分かっていなかった。
「そっか・・・・そうだよね。 私また間違えるとこだったよ」
「そう…分かってくれたのならそれでいいわ」
「それじゃ和ちゃん、ちょっとだけ聞いてもらってもいいかな?」
「ええ」
優しく微笑んでくれる和ちゃんに、私も同じ様に微笑みを返す。
それから一呼吸置いてから、ポツポツと話し始めた。
あずにゃんを好きになってしまった事から、あずにゃんに告白するために指輪をプレゼントすることに決めて、それを買うために今バイトしてること、そしてそんな私の行動があずにゃんを苦しめていたことなどを。
私は、最初から最後までの事を包み隠さず全て話した。そんな私の話を和ちゃんは口も挟まずただ黙って聞いていてくれた。
長く短い話が終わると、和ちゃんはふぅっと一息つく。
そして、ゆっくりと口を開いて話し始める。
「そう・・・・そんなことがあったの・・・・。それにしても、唯にもようやくそういう人が出来たのね・・・」
まるで母親のように、自分の娘の成長を喜んでいるみたいにふふっと笑みを漏らす和ちゃん。
「うう・・・」
顔が熱くなっていく。ちょっと、いや物凄く気恥かしくて顔を隠すように俯いてしまった。
そういえば和ちゃんとは長い付き合いだけど色恋の話は今までした事なかったな、と昔を振り返ってみる。
まあ実際に、私自身これが初恋だから話せる事がなかったのも事実なんだけど。
「それで、唯はどう思うわけ?」
「え?」
「梓ちゃんの事よ・・・・本当に本心で“嫌い”なんて言ったと、本気で思ってる?」
躊躇なく一番痛い所を突いてきて、うぐっと息詰まる。
「・・・そ、それは・・・・」
「話を聞く限り・・・・梓ちゃんはね、不安だったのよ・・・・。唯の事が心配で心配で仕方ないのに、当の本人は何も話してくれない・・・・そういう気持ちが積もりに積もって、感情が爆発しちゃったんじゃないかしら・・・・それで言いたくない事まで言ってしまった・・・・」
「そう・・・・なのかな」
「そうよ・・・きっと・・・。それにあんたもあんたよ。物には言い方っていうのがあるの・・・せめて後で必ず話すから待ってて、くらい言えなかったの?」
「うう・・・・・・それを言われると」
和ちゃんの言うことはいちいちもっともで正論だった。
確かに私はあずにゃんに何を聞かれても“教えられない”ばかりで、安心させてあげられるようなことを何一つ伝えることができていなかった。それじゃあ心配してくれてる人を不安にさせて当然なのだ。せめて一言だけでも何かしら伝えておけば、未来は変わっていたのかもしれない。
「ふぅ・・・・それで唯・・・・あんたはこれからどうするの?」
「え?」
「悪い事をしたと思うなら、まずは謝りなさい。自分の気持ちを伝えるのはそれからでも遅くないでしょ?」
「そ、それはそうなんだけど・・・・・」
自分でもこのままじゃいけないということは分かっている。そう思っていても、どうしても音楽室での一件を思い出してしまい、それが不安となって心を締め付け、今一歩を踏み出すことができない。勇気が持てない。このまま仲直り出来ないじゃないか、あずにゃんが許してくれないんじゃないかって、そんなことばかりが頭の中を行ったり来たりしていた。
「まさかあきらめるつもり?私の知っている唯は、一度決めた事を途中で投げ出すような事はしなかったわよ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
無言で俯く私に、和ちゃんは何を思ったのか、ブランコからすっと立ち上がり私の前までやってきた。俯いているから腰から下しか見えない。和ちゃんがどんな顔をしているのか、どんなことを思っているのか、私には窺い知ることはできなかった。
「唯」
「…っ」
優しい、慈愛に満ちた声が鼓膜をつく。
たった一言、名前を呼ばれただけなのに、それなのに心が震えた。
恐る恐る顔をあげて見た。そして思わず息をのむ。
「和、ちゃん?」
最初、そこにいたのが和ちゃんとは気づかなかった。それくらい綺麗な笑顔で和ちゃんは微笑んでいた。
今まで一度だって見せたことのないその笑顔は、素直に見惚れてしまうほど。夕日に照らされた彼女の笑顔は一種の芸術と言っても、いや女神と言っても差し支えない気がする。
「みんなの事にしてもそう、みんな唯の事が大切なのよ。学園祭の時にも言ってたでしょ? みんな唯の事が大好きなんだから。あなたが幸せになる事を望んでると思うわ」
そっと頭を撫でられた。それだけで、たったそれだけのことで心を縛り付けていた鎖が解き放たれていく。そして同時に、私の心に何かが灯る。それはきっと希望の光。絶望の中で輝き始めた希望の光は、凍り付いた私の心をゆっくりと溶かしていく。
みんなのために。
自分のために。
そして何より、
あずにゃんのためにも。
「・・・・うん・・・・そう・・・・そうだよね」
そうだ。私は、私たちはまだ終わってない。始まってすらいないのだから。
「和ちゃんの言うとおりだよ。うん・・・・私、もう一度信じてみるよ。・・・自分の事、あずにゃんの事を」
「・・・・そう」
あらたな決意を胸に秘め、ニコっと笑って見せる。そんな私に和ちゃんもニッコリと微笑んでくれた。
本当に嬉しそうに。前から思ってたけど、和ちゃんってまるでお母さんみたいだよね。こんなこと和ちゃんに言ったら、きっと「唯みたいな大きな娘はいらないわ」とか言われちゃいそうだ。
「ありがとう和ちゃん」
今までずっと傍にいてくれて、本当にありがとう。そしてこれからもよろしくね。
最高の幼馴染にして心友、真鍋和ちゃん。私の事を見守り支えてきてくれた彼女のためにも、私は頑張らなくちゃいけない。私が彼女にできることは、自分の精一杯の生き様を見てもらうことだけなのだから。
「よーし! それじゃあまず・・・あっ! そ、そういえば、私この後バイトだったんだっ!」
「え?」
意気揚々。これからって時に、さっそく私の決意は前途多難の色を見せ始める。
今頃になって思い出すとは、私はホントにダメダメ。これじゃ一人前と認めてもらうのはまだまだ先になりそうだ。
「ああっ! もうこんな時間! は、はやく行かないと・・・・そ、それじゃ和ちゃんっ! 私行くね? いろいろ話聞いてもらってありがとっ」
こうしちゃいられないとばかりに、勢いよくブランコから立ち上がり、出口に向かって走り出す。私にもう迷いはない。迷ってなんかいられないのだから。
「あっ! ちょ、ちょっと唯・・・・って、早いわね。まったく・・・本当に世話のかかる幼馴染なんだから・・・。唯、あなたの良い所はね・・・そういう一途で真っ直ぐな所なのよ。がんばりなさい、唯…」
風に乗って届いたその言葉を胸に刻み込み、私はただ未来に向かって、前を向いて全力で駆け抜けた。
**
その後、多少の遅刻はあったものの、バイトは無事終わりバイト代も入ってきて晴れてお役御免。それからしばらくして、私は例のアンティークショップの前まで来ていた。
その手に自身が頑張った証である諭吉さんを五人ほど握りしめながら。
「ふんすっ」
よし、と気合いを新たにして、店の扉を見据えて扉に手をかける。
カランカランと、あの日と変わらない音を響かせながらゆっくりと扉が開く。
中もあの日来た時と変わっておらず、その見覚えのある後ろ姿もあの日見たままだった。
お店のお婆さんが一人、薄暗い店の中で黙々とお掃除をしていた。
扉の音にも気付かないくらい没頭しているようで、その姿に一瞬声をかけるのを躊躇ったけど、はやる気持ちを抑えきれず意を決して声をかける。
「あの~」
「おや?」
私の声に反応したお婆さんがゆっくりと振り向き私に気付く。
「ああ・・・あの時のお嬢ちゃんじゃないか・・・もしかしてアレかい?」
ニッコリと微笑むお婆さんに、コクンと頷く。
「は、はい。あの指輪、買いに来ました。」
「ふふふ・・・・そうかい、ちゃんと用意してあるよ」
そう言って、お掃除を中断し箒をテーブルに立て掛けると、お店のカウンターの奥から小箱を持ってきた。
あの日見た指輪の入った小箱だ。
私はさっそく封筒からお金を取り出す。
今からこの五人の諭吉さんが指輪に変わるかと思うと、わくわくして胸が躍る。
「あの、これ代金です」
「はい、確かに頂きました・・・それにしても随分と早かったね? まだ二週間もたってないのに・・・」
お婆さんはそっとお金を受け取りながら素朴な疑問を述べる。
「えへへ・・・。アルバイト頑張っちゃいましたから」
「そうかい・・・・ふふ・・・・それじゃあ、これが商品だよ」
差し出された小箱をしっかりと両手に持った。
「あ、ありがとうございます。」
お礼を言って、その小箱を見据え、ゴクリと唾を飲み込みゆっくりとそーっと蓋を開けた。
「あ・・・・・」
そこにあったものはあの日と変わらず、二組の指輪が並んでいる。
ずっと望んでいたものが今私の手の中にあるということは素直に嬉しく感慨深いけど。
それでも喜んでばかりいられないのも事実。なぜなら、これははあくまでスタートラインに立っただけなのだ。
勝負はこれから。すべてはこれからの私にかかっている。
「うん・・・・これで、やっと。あ、お婆さん、その、いろいろありがとうございました」
「いいんだよ・・・・・・」
「それじゃあ私これで・・・・あ、また今度遊びに来ていいですか? 今度は私の大切な人もつれてきます、きっと」
「ああ、待ってるよ」
微笑み返してくれた婆さんにお辞儀をして、指輪の入った小箱を手に店から外へ出る。店を出る瞬間、後ろから「頑張れ」と聞こえた気がして、背中を押されたような気がして嬉しくなった。本当に、私は色んな人たちに支えられてるんだなって、改めて思い知った。
「うん・・・・・・決戦は、明日だねっ!」
ギュッと握りこぶしをつくって気合いを入れ、そして早速メールをすることに。
相手はもちろんあずにゃんだ。思い立ったが吉日。これ以上先延ばしになんてできない。
和ちゃんとだって約束したんだもの、頑張るって。
『明日のお昼休みに、屋上まで来てください。大事な話があります。』
内容は簡潔に。送信する際に少し手が震えたが、なんとか無事送信することができた。
これでもう本当に後戻りは出来ない。まあ戻るつもりもないんだけどね。
「これでよし・・・・まずはちゃんとあずにゃんに謝って・・・・」
そして。
自分の気持ちを伝えよう、この指輪と一緒に――。
つづく